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寄稿

寄稿:真山 知幸

江戸時代の豪商もベンチャー起業家だった

若者が憧れる世界都市「江戸」

 毎年春になれば、大きな夢を抱いて若者たちが東京にやってくる。大学卒業後、業界向けの専門出版社に就職が決まって上京した筆者も、かつてはそんな若者の一人だった。
刺激あふれる国の中心地に身を置いて、自分を成長させたい――。野心あふれる若者の姿はいつの時代も変わらない。

「玄瑞君もますます意気が盛んで、大坂を過ぎて江戸に至ったことは愉快、愉快。京都の事象にじかに触れて、さぞかし喜んでいることと、恐れ入っております」

 安政5年(1858年)4月13日、長州藩士の高杉晋作は、師の吉田松陰にそんな手紙を宛てた。「玄瑞君」とは久坂玄瑞のことで、晋作とともに松陰の松下村塾に通っている。二人はライバルだった。
 文面では、江戸に上ったライバルの奮闘ぶりを師匠に称えているかに見える。だが、晋作は内心かなり焦っていた。自分はまだ江戸に行ったことがない。玄瑞に先を越されたことに唇をかみながら、松陰にこんな催促をした。

 「僕の遊学についての話し合いの件、よろしくお頼み申し上げます」

 その後、晋作は無事に江戸への遊学を果たす。だが、江戸は大都会である。優秀な若者などいくらでもいた。晋作はそこで理想と現実のギャップに苦しむこととなる。

主役は武士から商人へ

 徳川家康が江戸幕府を開いた当初こそ、江戸の人口は約15万人だったが、年々増加していき、享保6年(1721年)の時点では、町人だけで50万人を突破した。武家の人口は町人とそれほど大差がないうえに、そのほかに寺社の関係者もいる。それらを合わせれば、人口100万人を超えていたことになる。
 世界の人口に目を向ければ、1800年頃で北京は90万人、ロンドンは86万人、パリは54万人と言われている。江戸は世界有数の100万都市だったのである。
 そんな江戸の文化を支えたのは当初、大名を含む武家と豪商だったが、1800年頃から武家の経済力は低下。文化の担い手は、商人へと移り変わっていった。
 ただ、それだけ人口が増えて商人たちが台頭しながらも、江戸の町では、武家が住む「武家地」が大半を占めており、「町人地・寺院地」は約15%に過ぎなかった。おそるべき人口密集地で、商人たちはビジネスで遅れをとるまいと、日々しのぎを削っていたことになる。 熾烈な競争に勝利して、一財産を築いた商人たちは「豪商」と呼ばれた。
 ひるがって今は、人口減少時代に突入し、決して物が売れやすいとはいえない。江戸の豪商たちが現代にタイムスリップしたならば、一体どんなふうにビジネスを行っただろうか。そんな想像をしながら、豪商たちから現代の起業家が学べることは何かを見ていこう。

新プロジェクトは人材を先に動かしておく

 三井高利は、江戸で挑戦するチャンスをずっと待っていた。
 もっとも江戸に行ったことがないわけではない。伊勢国松坂(現在の三重県松坂市)に生まれた高利は、14歳のときに呉服業を営む長兄・俊次の下で修業を重ねた。
 ところが、故郷で母の面倒を見なければならなくなり、28歳のときに帰省。これには裏事情があり、高利が商才に優れていたために、どうも兄に疎まれてしまったらしい。出る杭は打たれるとはこのことだろう。高利は故郷でかねという女性と結婚し、以降は松坂に住み続けた。
 だが、その思いはいつも江戸にあった。高利は10男5女と子宝に恵まれたが、男子は15歳になれば、江戸の商人のもとで修業させた。それだけではない。
気に入った若者がいたら、見習いとして次々と江戸へと上らせた。高利は江戸に出店して勝負することを諦めてはいなかった。そのときに備えて、自分の子供や同郷の若き才能を、あらかじめ江戸に送り込んでいたのである。
 兄の俊次が突然、病死したのは、延宝元年(1673年)のこと。これで気兼ねなく江戸で活躍する環境が整った。高利はすでに52歳だったが、自ら江戸に上らずとも、すでに長男の高平(21歳)、次男の高富(20歳)、3男の高治(17歳)がいる。息子たちに指示を出し、「三井越後屋呉服店」を江戸本町1丁目に開業した。
 優れた経営者ほど、新規事業の立ち上げは自分の手で行いたいと思うものだ。しかし、多忙ゆえに、いつまでも手つかずになりがちである。
 ならばいっそ、高利の江戸進出をならって、若き人材に先に動いてもらっておいて、自分はあとから参加してプロジェクトを調節していく。そんな方法を検討してみてもよいかもしれない。なにより重要なのは「好機を逃さない」ことである。

空気を読まずに業界のタブーに挑戦する

 念願の江戸進出を果たした高利だったが、江戸本町は随一の呉服街である。まともに戦っては勝てない。従来の慣習をがらりと変えることを高利は決意する。
 高利が目をつけたのは「見世物商い」や「屋敷売り」である。「見世物商い」とは、得意先を実際に訪問して注文の有無を聞き、あとで好みの品物を持参するという販売方法である。一方の「屋敷売り」とは、商品を得意先に持参して売る方法のことだ。
 ともに呉服を販売する上では常識的な販売法だったが、わざわざ一軒一軒へ売りに出かけるのは、どうにも手間がかかる。そこで高利は「店前売り」を採用する。これまで敷居が高かった呉服を、通りがかりの客でも店頭で気軽に買えるようにしたのである。こんな呉服の売り方は見たことがない、と越後屋はたちまち評判となった。
 また支払い方法についても、従来は盆と暮の2回、もしくは12月のみの支払いが慣習だったが、店頭で現金取引を行うことで、貸倒れのリスクもなく、資金繰りを良くすることに成功。その分、商品の値段を下げたため、消費者にとってもメリットがあった。さらに「値札(正札)」をつけてどの顧客に定価で販売。これも今でこそ常識だが、高利が積極的に打ち出して、定着したものだった。 
 このように商品自体を変えずとも、売り方を変えることで、より幅広いユーザに届けることができる。今の常識を覆すのは難しいように思うかもしれないが、実は、店頭での現金売り自体は場末の小店で行われていた。そのやり方を呉服販売に導入したところに、新しさがあったのだ。
 高利は、呉服業者間では禁じ手とされていた「切り売り」にも挑んだ。呉服は一反単位で販売するのが常だったが、客のニーズに応じて、切り売りも行うことで、大きな需要を掘り起こしたのである。
 自社の業界が旧態依然としていればしているほど、チャンスは多い。話題性だけのために業界のタブーに挑むのは愚の骨頂だが、呉服の切り売りのように「顧客にとっては便利だけれども、業界の常識としてやってないこと」は、どこにでもあるはずだ。
 「できるか、できないか」を先に考えると、思考の幅は狭まってしまう。できるかどうかはともかく「やれば確実に需要があるもの」を、まずは探してみることから始めてはどうだろうか。

原価ビジネスに隠されたカラクリ

 「販売方法」と「決済方法」に変革をもたらす一方で、高利は売り先の見直しも行っていた。店前売りも「お得意様ビジネス」から「店舗ビジネス」に変えた点では、これまで呉服に馴染みがなかった庶民にまでターゲットを広げることになったが、高利は一般消費者以外にも目を向けた。それは「同業者」である。
 高利は、各地の呉服商に商品を卸す、諸国商人(あきんど)に対する販売もスタート。これは業界のタブーというよりも、「儲からないので誰もやらないこと」だった。なぜならば、同業者相手には高値で売ることもできず、利幅が小さいからである。
 だが、たとえ小さな利益でも、みながやらないことであれば、積み重ねて大きな利益にすることができる。高利の大局観がここでも利益拡大へとつながることとなった。
 薄利多売という意味ならば、元禄期に活躍した豊島屋十右衛門ほどの人物はなかなかいないだろう。ちょうど世は、8代将軍の徳川吉宗による享保の改革により、庶民は質素倹約に勤めていた。当然、物がなかなか売れない。現代にも似た風潮だったといえるだろう。
 そんななか、豊島屋十右衛門は「豊島屋」という小さい一杯飲み屋を開業していたが、ある日、こんなうわさが立って、庶民たちが殺到。長蛇の列ができた。

「豊島屋では、酒とつまみの肴を原価で売っている」

酒が元値で売られていれば、飛ぶように売れるのは当然である。酒樽が毎日のように、10~20と空く大繁盛となった。また、味噌を豆腐に塗った後に焼く「豆腐田楽」も安くてうまいと大評判となる。

 「あんなやり方をしていては、そのうち潰れるだろう」

 同業者の冷ややかな目もなんのその、豊島屋の繁盛は続き、大名の御用酒も販売するなど事業を拡大。白酒も売り出して、田楽とともに江戸名物として知られるようになった。
 一体どこで利益をとっていたのか、おわかりだろうか。ヒントは本文にお示ししたので、ぜひ考えてみてほしい。

危機のときこそ経営方針に立ち返る

 答えはのちほど書くとして、豊島屋が倹約の時代に合わせて薄利多売に乗り出したように、時勢を読むことはいつの時代のビジネスでも重要となる。
 酒造蔵を持つ嘉納一族に生まれた治兵衛は、若い頃に大きな失敗をしている。原料米の高騰によって経営が悪化するなか、焦って米の投機に手を出して、大損害を被ってしまう。その後、治兵衛は心を入れ替え、酒造り一本に切り替えた。
 目を覚ました治兵衛は、取り巻く状況を冷静にとらえて分析した。原料米の高騰が続けば、酒の生産量は落ちていくはず。そうなれば、酒は高値となるはずだ。今から少しずつ米を蓄えながら、じっくり出荷すれば、十分に利益がとれるはずだ。そう考えたのである。
 米価がさらに上がるなか、米を日々買い貯めていた治兵衛は、その差益と酒価の高騰によって、じりじりと利益を上げていき、ついには、資産を2倍に増やすまでになった。
 もちろん、これは酒が日常の必需品であり、どれだけ値段が上がっても、一定のニーズが見込めからこそできたこと。治兵衛もこう感謝したという。

 「不況に強い酒造りを選んだご先祖様のおかげだ」

 あらゆるビジネスに、不況に弱い変動的な要素と、不況になっても変わらない要素があるはず。関連業界にも目を配りながら、そうした事業に注力するのも、不況を乗り切る一つの手ではないだろうか。
 さて、原価で酒とつまみを売りまくった豊島屋も、実は、考えに考え抜いたうえでのビジネスだった。一体、どのように利益を上げたのかといえば、酒を入れる「樽」である。豊島家では、関西から運ばれた「下り坂」を販売していたが、酒を安くして大量に売ると同時に、空いた酒樽を味噌屋などに販売。そこで利益を出していたというから、まさに薄利多売の王道といえるだろう。
 日本の居酒屋のルーツともいわれている豊島屋。現在でも老舗企業として営業しており、消費者に支持され続けている。

肝が据わった江戸の豪商たち

 それにしても空樽に目をつけ、それを売りまくることで、酒やつまみを原価で提供する豊島屋といい、江戸の豪商たちは発想が豪快である。自分たちが時代を引っ張っていくという意気がそこから伝わってきて、なんだか勇気づけられる。
 もちろん、順風満帆なときばかりではない。経営危機に見舞われることもある。自社がうまく言っていたとしても、取引先が倒れれば、経営不振に陥ってしまう。
天保2年(1831年)、小林吟右衛門は、「丁字屋」という屋号で、江戸に呉服屋や両替店を展開していた。だが、ある日、京都にある取引先の両替商が突然、閉店し、12万両もの損害を出すことになってしまう。
 このままでは連鎖倒産を引き起こす。一刻も早く京都に行って取り立てようと、番頭たちが大騒ぎするなか、吟右衛門はこう一喝したという。

 「今更、取り立てても、無駄なことだ。それよりも、これから取引先がここに殺到するだろう。ただちに支払いのための金を準備せよ。決して、取り立て人たちに動揺を見せてはならぬ」

 商売人たちの情報は早い。「大損害を受けた丁字屋も危なくなるのでは」と、こちらにも取引先が殺到することを、吟右衛門は冷静に見通していたのである。
 予想した通り、取引先が押し寄せてきた。吟右衛門の指示のもと、丁字屋は普段と何ら変わらずに対応。14万両もの支払いをこなしたことで、取引先の商人はみな「丁字屋は12万両の存在を受けても、びくともしないのか」と安心し、逆にその後は取引高を増やすことに成功している。
 楽ではない時代からこそ、経営者のアイデアと豪胆さが試される。そして、いつの時代もチャンスは日常のなかに転がっているものだ。
 冷静につぶさに事象を観察し、好機とみれば一気に行動に移す――。
 江戸の豪商たちに負けずに、現代のベンチャー企業の経営者たちも、口笛吹きながら荒波を楽しんでいこうではないか。

【参考文献】
1) 一坂太郎『高杉晋作の手紙』(講談社学術文庫)
2) 縄田康光「歴史的に見た日本の人口と家族」(「立法と調査」2006年10月通巻260号90-101頁)
3) 三友新聞社監修「越後屋誕生と高利の新商法」(三井広報委員会)
4) 中田易直『三井高利』(吉川弘文館)
5) 萩原裕雄『江戸豪商100話』(立花書房)
6) 宮本又次『豪商列伝』 (講談社学術文庫)

真山 知幸(まやま ともゆき)プロフィール

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年に独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。著書『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』(学研)は累計20万部のベストセラーとなった。そのほか『君の歳にあの偉人は何を語ったか』(星海社新書)、『最高の人生に変わる天才100の言葉』(PHPエディターズグループ)、『企業として見た戦国大名』(彩図社)、『ざんねんな三国志』(一迅社)など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は『偉人名言迷言事典』(笠間書院)。

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江戸時代の豪商もベンチャー起業家だった

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