株式会社大都 代表取締役 山田 岳人

創業79年、3代目代表が巻き起こすDIY革命

株式会社大都 代表取締役 山田 岳人

2016年9月、西日本で活躍する成長企業の経営者約300名が一同に会する経営者イベント『西日本ベンチャー100カンファレンス』が開催され、西日本でいま特に注目を集める経営者がその大胆な事業改革の裏側について語り合った。

※本記事はINOUZ Timesから転載しており、記事は当時のものです。

「娘やるから会社継げ」

―イシン株式会社 塩原慶大(以下、塩原)

本日はよろしくお願いします。
『いま注目の成長企業に聞く“事業改革の裏側”』ということで、事業改革などについて突っ込んだ質問をさせて頂ければと思います。まずは自己紹介をお願い致します。

―株式会社大都 山田 岳人(以下、山田)

株式会社大都の代表をやっています、山田と言います。よろしくお願いします。

大都の代表と言いましても、事業承継者でして私は3代目の代表となります。
僕の嫁の父が大都の2代目代表でして。僕の嫁は一人娘でしたから、結婚の条件が「娘やるから会社継げ」みたいなことだったので。それがきっかけで今の会社に入りました。前職は大卒で入社したリクルートにいたのですが、そのリクルートを辞めて大都に入社しました。

入社当時、弊社は工具の卸売業を営んでいました。工具を仕入れてホームセンター等に卸す、というのが主な仕事ですね。なので、僕がリクルートを辞めて大都に入社してから5年間はトラックに乗って工具を配達するという事をやっていました。

人々の社会生活を変えてみせる

―山田

後述しますが、そこから紆余曲折ありまして、今では主に3つの事業を展開しています。

1つ目はeコマースの事業です。
ホームセンターに卸していた工具を、ホームセンターに来ているお客さんに直接売らせていただく、ということですね。eコマース事業は2002年頃から取り組んでいまして、当時は15名くらい社員がいる中で、僕一人で立ち上げて大きくしてきたという感じです。

弊社は元々、工具の卸売業を営んでいましたから、圧倒的に商品数を持っています。
また、創業時からのお付き合いがあるメーカーさんもとても応援してくれていて、そういった方々の支援もありながらeコマース事業は成長を続けているような感じですね。

そして2つ目はDIYを体験できるお店を運営しています。一昨年に『DIY FACTORY』というお店を難波に出し、去年には東京の二子玉川にも店を出しました。

自分たちで自分たちの暮らしを作るという事をしっかりやっていこう、というテーマでお店を運営しています。
ABCクッキングスタジオさんのDIY版みたいな感じですね。難波の店舗は現在ではすでに250名の生徒さんが通っています。

3つ目の事業としてコミュニティ事業と言うビジネスを展開しています。

大手不動産さんのマンションの中に工房を作ることでマンション自体のバリューを高めてマンションを販売するというような事業です。ここでいうと実際に練馬区のマンションが完売になりましたね。

実は日本って衣食住の中で“住”の部分がものすごく遅れているんです。日本には820万戸の空き家があるにも関わらず毎年90万戸の新築が建っています。蓋を開けてみると住の業界は狂った業界なのです。住宅のストック問題や空き家の問題は度々ニュースでも取り上げられているかと思います。

そんな問題に対して、ちゃんと自分たちの手で手入れをして暮らしを変えていこうよと。
そんな想いからまずはeコマースから始まり、人々の社会生活を変えていこうとしているような感じです。

なので、僕たちは“空き家問題を解決する”というミッションを掲げています。DIYで革命を起こしましょうと。今までのDIYはブームにしか過ぎませんでしたので、これをしっかりと文化にしようと、そのような事をやっている、そんな会社です。

人生を懸けられる仕事へのピボット

―塩原

ありがとうございます。
今回は事業改革というテーマですので、過去のビジネスと今のビジネスまでの大きな変遷の中で、事業改革の起点になったもの、現在の事業に参入した理由などをお聞かせ頂けないでしょうか。

―山田

今のビジネスに参入した理由は、一言で言えば「選択と集中」ですね。

僕が大都に入社した頃は卸売業が100%でした。卸売行は納入する商品が基本同じなので、ビジネスの差別化がとても難しいです。“提案”という差別化をしても、結局最後は儲けてなんぼという話になってしまいます。ホームセンターからすると安い方が良いに決まっていますよね。そうすると、どうしても規模が大きいところには勝てないんです。

僕たちが卸売業で日本一になれるという可能性は、ほぼゼロなんですね。そして、3代目代表として卸売業に人生を懸けられるのかというと、僕は違った。さらに言えば、当時僕たちは全く儲かってなかったので、会社の存続が危ういというタイミングが何回もありました。

なので、そういうところも含めて、eコマース事業へとシフトしていきました。そもそも、社員からしても今のビジネスに人生を懸けられないと思っている経営者の下で働くのは苦痛でしかないですしね。

eコマースへの参入はルール違反みたいなもの

―山田

先ほども話しましたが、eコマース事業は今まで商品を卸していたホームセンターさんをすっ飛ばして直接お客さんに売るということなので、開始した当時は問屋業からかなり叩かれました。いわばルール違反みたいなものですから。

今となってはそんな事を言う人はいませんけれども、やはりeコマース事業を始めた2002年当時は常に叩かれていました。ホームセンターさんから強い圧力を受けたとのことで、うちに商品を卸せないというようなメーカーさんもいらっしゃいましたね。

ただ、業界全体を考えると、どう考えてもECに流れていく傾向にありました。
であるならば、まずはそこを信じてやろうよ、ということで卸売業を捨てeコマースに参入しました。

なので、今は卸売業の売り上げはゼロです。
当時、社員が15名ほどいたのですが、2006年頃に全員に退職金を払ってご退職いただくというような場面もありました。先代のブレーンかつ卸売業の社員ということで、僕が思い描く新しい文化をなかなか作れなかったんです。

eコマースへの参入、そして従業員の解雇。これが僕の選択と集中です。
何かをやると決めたら、何かを捨てるということですね。

―塩原

卸売事業を“捨てる”ということを推し進めるための強い決断というのはどこから生まれてきたのでしょうか。

―山田

うーん、そうですね。そもそも、卸売り事業自体が収益を生んでいませんでしたので、これをやり続ける意味が果たしてあるのかな、というところがまずありました。
僕は当時30歳くらいでしたが、当時の僕から見て「卸売業には人生を懸けられないな」と本当に思ったのです。

なので、決断するなら思い切ってやらないとな、ということで廃業にしましたね。
まさに背に腹は変えられないというような状況でしたし。

受け渡す側の強い覚悟に後押しされた

―塩原

ちなみに、廃業するにあたって先代経営者との衝突は無かったのですか。

―山田

先代はそこに関してとても気を使ってくれていました。
先ほども申し上げたように、僕の実の父親ではなく、僕の嫁さんのお父さんでしたから。

卸売業を廃業させた時の事をお話しさせていただくと、当時はもう3~4期くらい連続で赤字だったんです。それがちょうど2006年頃だったのですが、その頃に先代へ「廃業にしたい」という旨を伝えていました。

すると先代からは「何をやってもいいから、会社は残してくれ」と。
先代は2代目でしたし、親父さんから引き継いだ会社をなくすわけにはいかないという思いが強かったみたいです。

とはいえ僕も3代目として入社していたので、「わかりました」と回答しました。
ただ、1年間本気でやりましょうと。本気でやってもし赤字だったら、その時は廃業するのでそのつもりでやりましょうとも伝えました。

実際、それからの1年間は黒字にさせることにコミットしました。僕は元リクルートで営業マンでしたので、現場にも入りました。リクルート時代は「売るまで帰ってこない」という精神で働いていましたからね。

しかし、やはり文化が全然違うんですよね。「1年後、赤字だったら廃業になるんですよ?わかっていますか?」と伝えても、彼らが考えていることは帰りの飲み代のことだけでした。そして1年後の結果は赤字でした。もう本当に文化が違いましたね。それで卸売業を廃業とすることに決めました。

その時にはもう、先代からはなにも言われませんでした。先代も、僕に任せると言ったからには本当に任せてくれたのです。そういう受け渡す側の強い意志もあって、いろいろとやらせてもらえたのかなと思っています。

「モノ」から「コト」へのシフト

―塩原

ありがとうございます。話を変えまして、現在新規事業を立ち上げていらっしゃると思うのですが、新規事業を立ち上げたきっかけや理由、タイミングなどその辺りの具体的なエピソードをお聞かせいただけないでしょうか。

―山田

新規事業でいえば、2002年に立ち上げたeコマースが、僕らの中では一番大きな転換点でしたが、直近でいきますと、2014年に先程お話ししたDIY店舗の『DIY FACTORY』というお店を難波に出したことが新規事業であると言えると思います。

『DIY FACTORY』は、実際にDIYを体験できるお店です。
電動工具の使い方とかを実際に体験してもらう。物販と言うよりは、体験を通して工具などを売っていく、というコンセプトのお店です。

なぜ店舗を出したかというと、僕らのビジョンを明確するために必要だと考えたからです。

2012年くらいからですかね、eコマース事業が伸びてきて、いろんなところで表彰もされるようになってきていました。ただ、当時の事業はモノを仕入れて売って、そして儲かってという世界でしかなかったので、そのループの中にいると自分たちの存在意義を見出しにくくなってきていたんです。

僕らはなんのために事業をしているだろう、って。
そして、僕らが見たい未来・ビジョンに対して、果たしてECだけで実現できるのか、ほんとにそんなこと出来るのかと考えた時に、そうじゃないよねと。

日本の住の業界は極端に遅れていますから、それを本気で変えようと思うなら、ちゃんと人が動いていく仕組みを作らないといけない。なので、「モノ」から「コト」へのシフトをしました。eコマースを起点としながらリアルな体験ができるDIYの店舗も出店しようという形になりました。

これが僕らには大きなきっかけになっていて、多くのメディアにも取り上げてもらいまして、昨年には東京の二子玉川にもお店を出すことができました。

資金調達を諦めていた時期もあった

―塩原

グッとアクセルを踏んでいくタイミングでファイナンスもされていると思うのですが、その辺りの理由や決断に至った際の心境などもお聞かせ頂けないでしょうか?。

―山田

僕たちは“DIYを文化にする”ということを目指しています。
そして、ゆくゆくは日本の住まいを変えていく役回りを担っていくると認識しています。
このビジョンを実現させるためにはある程度の規模感とスピード感が必要だなと考えています。

なので、やはり資金調達が必要だなという判断になりました。
ただですね、3年くらい前から関西で資金調達に動いていたのですが、関西でのファイナンスは難しかったですね。当時僕は3億円位の調達をイメージして動いていたのですが、そういうVCさんが関西にはいませんでした。なので、実は1回資金調達を断念しています。

その後、たまたま縁があって東京で活動をし、そして理想のVCさんを見つけることができました。それがグロービスキャピタルパートナーズ(以下、GCP)さんですね。このVCさんと一緒にやりたいなと、苦楽をともに出来るパートナーを見つけた感じです。

GCPさんに決めた理由として、もちろん資金面もありますが、それよりも大きかったのが知識や経験ですね。僕らが持っていないものをGCPさんは持っていました。

実はGCPさんは今年で設立20週年になるのですが、大阪での投資は僕たちが1社目だったんです。GCPさんは過去GREEさんやクックパッドさんなど、いろんなところに投資をして成功されてきているけどいますが、大阪は僕らが1号案件なのです。

関西での資金調達って、実績のあるGCPさんでも僕らが初めての案件なくらい、それくらい遅れているんです。だから、関西の人はもっとアグレッシブに攻めた方が良いんじゃないかなと思うんです。

なにも、東京に移転しろと言っているわけではないです。移転する必要はないと思います。
ただ、ちゃんと取るべき情報を取りに行くこと。ちゃんと人に会って話しをすること。こういうことが大切なんじゃないかなと思いますね。

関西と関東ではベンチャーを取り巻く環境が違う

―塩原

情報を取りにいく、ということについてもう少しお聞かせいただけないでしょうか?

―山田

そうですね、例えば、僕が卸売事業を廃業させた時のような選択肢がこれからもたくさん出てくると思います。いま、僕のもとにはボードメンバーを始め、新しいメンバーも集まってきてくれていますが、やっぱりそういう情報や経験は僕らにはないまだまだ少ないので。

関西で経験のある人って本当に少ないんですよね。
東京にあるようなベンチャーの生態系が関西にはないんです。なので、関西で資金調達しようと思うと、銀行からデッドでファイナンスをすればいいじゃないか、となるんですね。

―塩原

ファイナンスをされた時、周囲の反応などはいかがでしたか。

―山田

いろいろと言われることはありましたね。「そんなのアホじゃん」という人もいます。
ただ、実際のところどうなんでしょうね。

関西ではエクイティでファイナンスをすると、経営を握られて自由に動けなくなると考えている人が多い気がします。GCPさんなんかも、ハンズオンだと言われていますが、何か否定されるなどやりにくさを感じたことは1回もないですね。

大切なのは「誰とどこに向かうのか」にコミットすること

―塩原

新規事業を作り、それを展開していく中で様々な困難が出てくると思います。その困難をどうやって乗り越えてきたのかについて教えていただけないでしょうか。

―山田

僕は、困難を乗り越えていくためには、一緒に困難を乗り越えていけるような仲間の存在が大切だと思っています。結局、どんな企業・サービス・商品であれ、すべて人によって作られていますから。

だから、「誰とどこに向かうのか」、これだけに注力していますね。
自分が目指している未来を信じてくれる仲間がどれだけいるかどうか。ここで勝てるか負けるかが決まってくると思っています。逆に、「誰とどこに向かうのか」をしっかりとコミットできていれば、絶対に達成できると考えています。

これは社内だでけではなく、社外にも言えることでもあると思います。社外のパートナーも含めて信じてコミットができれば、大抵のことはどうにかなると信じていますね。

―塩原

先ほど、既存の社員さんを解雇したというお話しもありましたが、事業を作っていく上での社員さんとの接し方はどうされていたのですか。

―山田

まずは、やはり大切なのは掲げた大きな目標に向かって、みんなで船の速度を合わせて漕いでいけるかどうか、ということですよね。

一生懸命、船を漕いでいるけれども皆とは違う方向に漕いじゃう人とかいるじゃないですか。とても頑張って漕いでいるんですよ。でも、漕いでいる方向が違う。だから、そういう人も含めて、ちゃんと同じ方向を向けいているのかどうかに関しては、かなりこだわりを持ってやっています。ただ、そうなると当然、離職者も出てきてしまいますよね。

そういうことをやりながら、僕たちはみんなが同じ地図を持って、同じ方位磁石で、ちゃんと同じ方向を向いていくというのを徹底しています。違う方向に進んでいる人も含めて全部コントロールするのってマネジメントがかなり大変ですからね。なので、そういう所にはすごくこだわっています。

幸福の絶対量を増やすことが目標

―塩原

最後に、今後の展望についてお聞かせ下さい。

―山田

いま、DIYはにわかブームで様々なメディアも取り上げてくれています。ただ、この背景には多くの大きな問題を抱えています。そして、その課題を解決するための大きな流れがきているのもまた事実です。

例えば、今年の4月には国土交通省さんが新たな指針を出していたり、最近でいえば、新興住宅のリノベーションに国から60万円の補助を出す、というような発表もありました。

価値観が大きく変わろうとしているんだと思います。大量生産・大量消費の時代はとっくに終わっていますよね。僕はもう46歳になりますが、昔は上から下までメンズ・ビギみたいな格好をしていましたけど、いまはそうじゃない。

ファッションでいえば、今はセレクトショップが流行っていて、自分で選んで着こなすものだという風に変わりました。でも、住宅は全く変わっていない。与えられたハウスメーカーで作られて、与えられた家に住む。こういう状況を変えていかないといけない。

あとDIYというのは、すごいコミュニティを作るんです。
例えば、子どもと一緒に子供部屋を作ったとすると子どもは一生それを覚えています。
家具の形、壁の色を見る度に「お父ちゃんと一緒に作ったなぁ」みたいな事を思い出すわけです。だから、そういう仕事をしたいと思っています。

結局、仕事って誰かの役に立ったという実感を得ることが最高の報酬じゃないですか。
なのでやはり、うちの従業員もそうですし取引先さんも同じように、大都という会社とこういう事もやったし、あんな事もやったよね、という風に胸を張れたらいいなって思うんです。

なので、みんなが胸を張れるような会社にしていきたいと思っています。
DIYをする人がどんどん増えて行けば、社会の幸福の絶対量が間違いなく増えていく。僕は常にそう言っていますし、DIYを介してそういう存在になって行きたいと思っています。

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