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著名経営者の経営者インタビュー

島根県 教育魅力化特命官 / 一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム 代表理事 岩本 悠《前編》

人間シリーズ② 人間 岩本 悠《前編》

使命感に生きる。どこにでも飾ることなく、等身大で乗り込んでいく。何よりも目が澄んでいる。常に好奇心を持ち、フィルターを通さずにありのままを見ようとする目。岩本は新卒入社したソニーを3年で辞め、隠岐諸島の島根県海士(あま)に移住。廃校寸前だった隠岐島前高校を見事に立て直す。いまや全国から入学希望が来る人気校となった。高校の魅力化を機に人口流出は転入増加に転じ、地域創生のロールモデルと言われるまでになる。

岩本はもともと東京の核家族で育った鍵っ子。高校時代に初めての越境としてカナダに行き、閉塞的な日本の学校教育に疑問を持つ。大学時代はアジアやアフリカ20ヶ国の地域開発の現場を巡る。岩本にとって世界が学びの場、出会う人すべてが先生だった。その“流学"体験を1冊の本にし、アフガニスタンに学校までつくる。経済停滞が長い日本。国家の未来は教育改革にかかっている。岩本の越境は逆境となり、熱狂へと変わった。熱狂は一つの島から島根県全体に伝播し、いま日本全国に伝播している。ゆくゆくは世界中に伝播して、世界がより良く変わる原動力になるかもしれない。草莽崛起(そうもうくっき)の精神。岩本の挑戦はこれからも続く。

≪前編≫
インタビュー前編は、閉ざされた日本の学校教育に息苦しさ感じた岩本が、ひょんなことから高校1年生の夏にカナダに行き、世界の広さと自由を感じるところから始まる。原点となった越境体験。大学時代は「世界こそ最高の生きた学び場」と20か国を渡り歩き、地域開発の現場に入り込む。岩本の過去を紐解くと、教育魅力化による地域創生の源流がそこにあった。

後編はこちら

高校を起点に地域を甦らせる

―いま岩本さんはどんな仕事をしていますか?

岩本:主に2つの仕事をしていて、1つ目は島根県の教育魅力化特命官。2つ目は一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームの代表理事です。

 1つ目の島根県教育魅力化特命官としては海士(あま)町での成功モデルを島根県の他の地域に横展開しています。地域の高校を改革して、その地域全体の人の流れを変えていく。高校を核として地域創生を推進しています。

 2つ目の一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームでは、先ほどの取り組みを全国に広げています。また地域みらい留学と呼んでいるのですが、日本各地の魅力ある高校に、全国から生徒が留学できる仕組みをつくっています。都道府県の枠を越えていろんな地域の学校に入学し、越境体験を通じて今までにない高校生活が送ることができます。

―なぜ高校を起点にしているのですか?

岩本:多くの地域にとって高校って「最高学府」であり最後の砦なんです。高校までは家から通える地域の高校に通い、その後はたいてい都会に出て大学や専門学校に入学する。地域にとって高校は人材流出の出口なんです。だから、まずそこを改革する。高校を魅力化することで、人の流れを変えることもできます。Uターンや関係人口の増加、教育移住や地域みらい留学で子どもや若者が増えて地域が再び活性化する。

 また小中学校は市町村立だけど、高校は都道府県立です。高校は都道府県の行政が管轄し、地域振興を都道府県単位で考えるうえでも非常に重要な位置づけです。公教育を大きな枠組みの中でシステムとして捉えて変えていけます。

窮屈な学内カーストから解放。なんて世界は自由なんだ!

―岩本さんは東京の核家族で育ち、特に何不自由なく暮らしていたそうですが。岩本さんをここまで突き動かすものは何ですか?もちろん若者が社会システムに疑問を持ったり、反発したりすることは世の常です。しかし、たいていはそのまま何も行動に移さずに予定調和のまま人生を過ごすと思います。岩本さんの原動力は何でしょうか?

岩本:たしかに大きな挫折も不幸もなく、小中高と家から最も近い公立学校に通っていました。うちは共働きの核家族で、小学校ではいわゆる「鍵っ子」でした。父親は高卒で工場で働いていたので、高卒での労働がいかに大変か聞かされたこともありました。

 でも、学校の教室の中での教師と教科書からの勉強に特に興味が持てなかった。目的がよく分からない中での勉強に意欲が湧かなかったんです。また、学校内ヒエラルキーやその序列に囚われ、同調圧力の中で、いつも自分の格好や言動がイケているかどうかばかり気を使っていた。友人と本音で語り合うこともなく、本気で何かに取り組むこともなかった。僕にとって学校とは窮屈で閉ざされた場所でした。

 閉塞感を漠然と感じながら狭い社会の中で、猿山のような学校内ヒエラルキーの中で食われないように、学内カーストの中で下にいかないように内心びくびくしながら生活を送っていました。

 そんなある日、父親の友人でカナダ人と結婚しカナダへ移住した人から連絡がありました。その人が「一度カナダに遊びに来たら?来るなら自宅に泊めてあげるよ」と言ってくれ、僕の親も「せっかくだから行ってみたらどうだ?」と。僕もそんなに深く考えずに「行ってみたい」と返答したんです。

 かくして高校1年生の夏休みを利用して1か月ほどカナダのトロントに一人で行くことになりました。それが僕の人生初の海外旅行、一人旅。きっかけはホントたまたまでしたね。

 トロントの1か月は本当に楽しかった。午前中にサマースクールに通って、午後からは特に予定もないので、一人で街をぶらぶらしたり、サマースクールでできた友達とスケボーとかで遊んだり。そのサマースクールというのが英語を母国語にしていない子たちが集まっていたので、英語ができない僕も特に挫折感を感じることもなかった。日本人は僕しかいなくて、イスラエル人やフランス人、いろんな国から来ていましたね。世界って広いんだなと(笑)。そんな子達に混じって、英語はお互い話せないのでボディーラングエッジや簡単な英単語で意思疎通していました。でも、コミュニケーションとしては意外に通じた。何とかなるじゃん!と(笑)。言語が通じなくても何とかなるんだなと。発見でしたね。

 親からも学校からも離れてまったく知らない土地にきて、「なんて世界って自由なんだ」と心からの解放感とワクワク感を味わった。僕を管理する人もいない。止める人もいない。自由だ!学校内カーストの中で汲々としていた自分が馬鹿らしくなりましたし、逆になんて狭い世界で今まで生きていたんだろうと驚きました。15歳の夏、僕の初めての越境体験でした。

―その越境体験が岩本さんの原点なんですね。

岩本:いま話すまで自分の原点とまでは考えてなかったですけど、たしかに15歳の夏に経験した越境体験は僕の原点の一つだと思います。今いるコミュニティから飛び出す面白さを知った。怖さよりも面白さを知ったのは大きかったですね。

 あと周りに合わせないといけないという同調圧力からも解放されました。自分で選択して自分で生きればいいんだと。

世界が学び場。学生時代、本の印税でアフガンに学校をつくる

―なるほど。その後に大学に入学して、世界各国を渡り歩く“流学体験”につながるわけですね。

岩本:大学に入り、日本の封建的な学校文化から解放されて、ますます自由を謳歌しました。髪を染めてブランド物の服を着て、バイクに乗り、バイトをして、ナンパして、コンパみたいな(笑)。いわゆる普通の大学生をしました。毎日が楽しかったですよ。

 でもどこか何かモノ足りなかった。たしかに楽しいけど、このままなんとなく大学生活を終えて、なんとなく就職する。人並みに働いて円満な家庭を築くんだろうか。それはそれで立派な人生。幸せなのかもしれない。でもそんな予定調和みたいな人生でいいのか。想像してもワクワクしない。まだ見ぬ世界、もっと違う何かを求めたい。そして、そんな予定調和から飛び出したんです。

 まず自転車やバイクで日本全国を旅して周りました。ヒッチハイクしたり、流れるまま自分で決めて自分で動いた。日本全国で人の温かさを知り、日本の素晴らしさを肌で感じた。日本全国を周った後は、東南アジアやインド、中国、チベットなどまで旅の範囲を広げました。

 そして、思い切って大学を1年間休学することにしたんです。世界を“流学"するために。流学とは自分でつくった造語です。様々な地域を流れながら学ぶという意味。旅自体が学びであり、世界自体が壮大な学び場という意味を込めました。

 流学の手持ち資金はバイトで稼いだ50万円。でも単に無目的で世界を旅するのも面白くない。訪れた国ではその地域にあるNGOなど国際協力団体に「勉強させてください」と言って活動に参加させてもらった。あらかじめ決まったカリキュラムもない。時間割もない。僕を縛るものは何もない(笑)。世界中を旅して、第一線で活動する人の中に入って、世界を体感して学ぶ。実際はお邪魔にしかなっていなかったと思うけど、僕にとっては最高の学び場でした。

 いろんな国のいろんな地域に行きました。両足のない物乞いをする男の子。ガリガリに痩せた赤ん坊。怒声を上げるパレスチナ人。出会う人すべてが先生でした。五感を全開にして体で学びました。ご縁や偶然や直感を信じ、行きたいところに行き、やりたいことをやる。でも、なぜか不安や焦りはなく、流れに身を任せて学ぶ日々。それが僕流の“流学"だったんです。

 人と出会い、その縁がまた人をつないでいく。導かれるように次の場所、次の人につながっていく。生まれて初めて学ぶことの楽しさを知りました。そして、学べることが幸せなのだと改めて痛感しました。

 難民、貧困、飢餓、紛争。日本では考えられないような現実がそこにはあった。そんな数々の現実を前に、自分の力では何もできない。どこまでも無力な自分。マザーハウスで毎日死んでいく人たちを見ながら、生きることの意味、命の使い道を考えた。1か月の山での生活や10日間の断食などを通して、自分が自然の一部であり、つながりの中で生かされていることを感じました。

 台湾の震災復興ボランティアでは、僕の存在を泣いて喜んでくれた一人暮らしのおばあちゃんから人の役に立たせてもらえることの喜びを教わりました。人の悲しみに触れると自分もつらく。人が喜んでいると自分も嬉しい。そんな当たり前のことを身体で感じながら、自分と他者はつながっているんだと実感しました。自分も世界も未来もこれから変えていける。そんな根拠のない自信と可能性に満ち溢れ、20歳の僕は人生にワクワクしました。

 流学の1年を通して今までの価値観は完全に瓦解しました。社会の常識と思っていたものが実は日本の中だけの常識であり、世界標準、人類共通と思っていたものが、欧米の一基準に過ぎないことを知りました。今までの価値観が瓦解して、価値観の焼け野原からの再出発となったんです。

 流学中は夜な夜な日記を書いて、文字に落として内省し、その意味を問い直し続けました。しばらくすると、その日記をまとめて世に問いたいと思うようになりました。自分の流学体験を他の学生に伝えたい。学校の外にも「学校」がある。世界が僕らの「学校」だということを、かつての自分のような学校や世間の枠の中で悶々としている多くの若者に伝えたいと思ったんです。

 やりたいならすぐに行動に移そうと思い、さっそく出版社を周りました。でもまったく相手にされなかった。何の実績もない若造なので仕方ない。しょうがないので200万円の借金をして、自費出版することにしました。

 実際に本という形にして世に問うと、想いが通じたのか本はクチコミで広がり版を重ね、海外でも翻訳出版されるまでになりました。またその本の印税を使ってアフガニスタンに仲間と学校を創ったりもしました。学生でも社会に対してできることがある、学生だからできるやり方がある、ということを世の中に示したかったんです。

自分が生涯やりたいのは、教育

―大学卒業後はソニーに就職したそうですね。

岩本:大学時代は本当に自由奔放に過ごしましたから、卒業後は逆にしっかりとしたビジネス経験を積もうと思いました。じゃあどんな仕事をするべきなのか。流学を通して、自分がやりたいことを内省した結果、自分が生涯通じてやりたいのは教育だと分かっていたので、教育分野で働きたいと思いました。人が学びによって成長して、より良い持続可能な社会を作っていきたい。そんな想いが自分の中で芽生えていました。

―企業への就職ではなく、いきなり学校教育の現場に入ることは考えなかったんですか?

岩本:もちろん教育を変えていくには、本丸である学校そのものを変えていくしかない。でも、いきなり学校の内部に入るのではなく、まず学校以外の場所で経験を積んで、それから学校教育の世界に入ろうと思ったんです。そちらの方が長い目で見て、教育を本質的に変革していけると思いました。

 就職活動ではいろんな会社を見て、最終的にソニーに決めました。決め手は、ソニーの人事担当者が「岩本君は人財育成の仕事しかしたくないんでしょ。それができる配属にするよ。それに、どうせ会社に長くいる気はないんでしょ。3年でもいいから、会社にいる間は給料以上に働いて、トリックスターとして硬直化した組織をかきまわしていってね」と言ってくれたからです。自分のことをよく分かってくれているなと(笑)。

 ソニーでは本当に自由に仕事をさせてもらいましたね。いまでも感謝しています。新人の僕でも自分で提案した企画や仕事をたくさんさせてもらいました。当時の上司が管理型のマネジメントではなく、珍獣使い的なマネジメントをしてくれたのも大きかった(笑)。自分の思うようにやってみろよと、まさに個性を伸ばすタイプの上司でした。上司に恵まれました。

 でも、社内での僕に対する評価は二分していました。「珍種」、「異端児」、「変わり者」、「こういうヤツがたまには必要」と面白がってくれる人たちもいましたが、大半は「スタンドプレー」、「生意気」、「組織人じゃない」、「なんで特別扱いされているの」といった感じでしたね。そもそも僕自身が周りに気に入ってもらいたいという気持ちは毛頭なく、給料以上に働いているし、結果も出しているから問題ないだろうと当時は思っていました。妬む暇があったら自分でやってみろよ、という気持ちもありましたね。

 異端である自分に批判があることは当然であり、変革に抵抗や反対は付き物。批判されていることに逆に誇らしくさえありました(笑)。いまから考えると若気の至りです。

 もともと大した実力もないのに、そんな態度を2年ほど貫いた結果、気が付くと思い通りにいかないことも多くなり、僕の仕事もいよいよ停滞し始めました。特に僕をおもしろがってくれた役員が辞めてからは社内での逆風がさらに強まり、ついには僕が進めていたプロジェクトを止められ、ひとりトイレで悔し泣きをしました。

―ソニーに在籍した間で印象に残っている仕事はありますか?

岩本:ソニーには結局3年弱いました。いろんなプロジェクトをさせてもらいましたが、いまの地域創生につながるようなものをインドの貧困の村でやったことがありました。村の住民の方たちが村の魅力を再発見する支援として「地域の宝探しプロジェクト」をやりました。子どもたちが身の回りの素敵なものやおもしろいものをソニーのデジカメを使って撮ってまわる。最後に子どもたちが撮影した村の魅力を集めて、村の大人の前で鑑賞会を開く。大人が普段気づかないような魅力を子どもたちがたくさん見つけてきてくれました。村の魅力を再発見し共有したわけです。その後にその村の魅力を世界に向けて発信する。振り返ってみると、このコンセプトはいまやっている学校魅力化プロジェクトと共通していますね。

(取材・文 明石 智義)

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岩本 悠(いわもと ゆう)プロフィール

1979年、東京都生まれ。大学時代に日本全国をヒッチハイクで周り、2000年には1年間休学してアジア・アフリカ・オセアニアなど20か国で地域開発に従事。帰国後にその体験を『流学日記』として出版し、印税でアフガニスタンに学校を建設。幼小中高の教員免許を取得。卒業後はソニーに入社し、人財育成や社会貢献事業に携わる。2000年に島根県隠岐の離島である海士(あま)町に家族で移住し、隠岐島前高校の魅力化に挑戦。高校を起点とした地域創生のモデルケースとなる。2015年より島根県教育庁と島根県地域振興部において、魅力ある教育による地域創生に従事し、島根県教育魅力化特命官に就任。2016年の日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムで最優秀賞を受賞。2017年に一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームを設立。

人間シリーズ② 人間 岩本 悠《前編》

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