株式会社ファクトリージャパン 創業者 / 実業家 子安 裕樹

出口のその先に 第9回

株式会社ファクトリージャパン 創業者 / 実業家 子安 裕樹

人の本質をとらえた事業でなければ長続きしない。3歳から父親の影響でラグビーを始め、組織や人づくりの基礎を学んだ。2001年から日本の健康意識を改善すべく、整体チェーン『カラダファクトリー』を展開。同社を一大グループに成長させる。後継者は現場から育てることにこだわり、2015年に幹部たちから温かく見送られながら同社を去る。バイアウト(会社売却)後は、シンガポールやタイでさまざまなビジネスに挑戦。しかし、子安はどうしても物足りなさを感じていた。そこでのビジネスは新しさに欠け、何より本気で人を大切にすることができていなかったと振り返る。そして子安は今、その教訓を胸に日本の地方に目をつけている。ビジネスは難しいと思われがちな地方でこそ、人の本質が活きる。今回はそんな子安の「出口のその先に」を聞いた。

生え抜きの社員を後継者に抜擢

―2015年7月にファクトリージャパングループをバイアウト(会社売却)されました。どういった経緯でバイアウトしたんですか?

 もともと1999年6月に個人事業として整体院を開業しました。そして2001年に多店舗展開すべくファクトリージャパンを設立。私は設立当初から100店舗の出店というゴールを設定しました。

 日本の健康意識改革を掲げ、私も整体師として毎日現場に出てがむしゃらに働きました。国内のさまざまなエリアや東南アジアなどにも進出し、徐々に店舗数も増えていきました。そして設立から10年目の2011年、ついに100店舗の出店というゴールを達成したんです。

社員運動会
ドバイで事業立案
ベトナムでの社員旅行(前列中央が子安)
入社式(前列中央が子安)
社員研修
新年会(中央で小づちを持つのが子安)

 設立当初に掲げたそのゴールを達成したことで、私の次のミッションは後継者育成に移行しました。よくあるパターンとして、後継者に管理部門や経営企画の人材を登用することが多いですが、整体というビジネスは人が全て。私は後継者育成を考える時に、現場の生え抜き社員から育成しようと考えました。いくらMBAを持っているような人材でも、現場を分かっていない人に経営は任せたくなかったんです。その頃から社員には「いつでも社長になれるよう訓練しよう」と言って、色々勉強してもらってましたね。

 そして2013年に私は確信しました。現代表取締役社長の小牧であれば、ファクトリージャパンの経営を安心して任せられると。小牧はファクトリージャパンの一人目の社員で、社員ナンバーも1番。彼女の働きぶりには周りも一目置く存在でした。そんな生え抜きの社員が社長候補にまで成長してくれた。またそれだけでなく、小牧のほかにも幹部候補となる人材が育っていました。

 私はファクトリージャパンを引き継ぐために、財務面などの本格的な準備に着手。そして準備が完了した2015年に、ファクトリージャパンを去ることになりました。ファクトリージャパンを去る時も、幹部たちは温かく送り出してくれた。

 もともと幹部たちは私が直接現場で教えていたスタッフで、私の性格を理解してくれてました。私は既存事業をどんどん大きくしていくよりも、0→1で新しいことに挑戦するのが好きなタイプ。幹部たちはそれを分かってくれていたからこそ、「子安さんは0→1が好きだから、ファクトリージャパンで500店舗、1,000店舗と規模を拡大させるより、また新しいことにアグレッシブに挑戦してください」と、温かい言葉で送り出してくれましたね。

最後の送別会(前列中央が子安)

とてつもない虚無感に襲われた

―バイアウト後はどんな心境でしたか?

 一日にして環境がガラッと変わり、次第に虚無感が押し寄せてきましたね。もともと私は秘書も6人いましたし、1,000人以上いる社員たちに囲まれていた。朝は車で迎えが来て、忙しいルーティンをこなす毎日を送ってました。24時間365日、仕事と遊びの境目もなく戦っていた人間だったんです。

 そんな私がバイアウトの翌日からひとりぼっちになった。社員も秘書もいない。予定もなにもない。つい昔の社員たちに連絡してしまう自分。小牧に会社を継ぐことを決めてから数年かけて着々と準備してきたはずだったのに、会社の体制は整っていても大事な準備ができてなかった。それは自分自身の心の準備だったんです。

 当時の心境をたとえるなら、ずっと籠に入れていた鳩をある日いきなり森に放すようなもの。自由を手に入れた鳩は嬉しそうに森のうえを飛び回りますが、5分も経つとその嬉しさはなくなってしまう。あれ、籠のほうが居心地が良かったぞって。急に行くところがなくなった鳩は寂しさを感じるんです。まさに、そんな心境でしたね。

 バイアウトしてみて、環境が人間に与える影響の大きさを改めて痛感しました。バイアウトの準備は、なにもお金回りや体制づくりだけじゃない。経営者自身の人生の節目なので、その後の人生で何をするのかも考えておいたほうがいいですね。

―ちなみに、大金が入って金銭感覚は変わりましたか?

 バイアウトするまで金融機関からの借り入れが20億ほどあったんです。借り入れはすべて個人保証。私はずっと借金返済のプレッシャーと戦い続けた経営者人生だった。でもバイアウトによって一日で全ての借金を返済できましたね。バイアウト当日には何十億というお金が振り込まれていました。正直、あまり実感は湧きませんでしたが。借金もその日に返済しました。その瞬間に経営者として17年間、1分1秒も忘れられなかったプレッシャーから解き放たれたんです。

 ちなみに、個人の消費に関する意識はまったく変わってません。会社経営していた時から、もともとお金はあれば使うタイプだったので(笑)。

どうしても感じてしまう物足りなさ

―バイアウト後は何をしたんですか?

 バイアウトで得たお金を管理するために、シンガポールで資産管理会社を立ち上げました。これは私の資産を運用するための会社です。また個人的な活動として、シンガポールで現地のVCに会ったりインドネシアやベトナムの会社に出資もしましたね。

 でも正直20年近く実業をやってきた身としては、単にお金を投資するだけの事業は退屈でした。やっぱり味気ない。自分はもっと現場で人と交わりながら泥臭く事業を創っていたいと思いました。自分自身、まだまだ事業欲があると気づいた瞬間だったんです。

 それで2017年にタイで新規事業を立ち上げたんです。一軒家をリフォームし、ワンストップであらゆるサービスを受けられるスパをつくりました。ヘアカットやネイルサロン、タイマッサージなどをすべてワンストップで受けられる場所です。

タイでの新規事業のメンバーたち
(左奥から2番目が子安)
バイアウト後に開催した『子安塾』公演会

 私はせっかくの0→1の機会なので、あえてお金を掛けないやり方を選びました。社員にもお金がない前提で試行錯誤してもらった。そうする中で人も育てばいいなと思ってました。でも、この事業も物足りなかったんです。

 というのもファクトリージャパンと似たコンテンツだったので、正直言って目をつぶっていても成功モデルをつくることができた(笑)。どうすれば再び熱中できるものが見つかるんだろうと、真剣に悩みましたね。

―ファクトリージャパンでの成功と比較してしまい、事業にやりがいを見出せなかったんですね。

 これらの教訓から、人が関わる事業で、かつファクトリージャパンとは畑が違うことにチャレンジしようと考えたんです。すると、ちょうどタイでドン・キホーテが1号店を出店することになり、私はその店舗内でイベントホールをつくってイベント事業を運営しようと思いつきました。

 このビジネスは今までとは畑が違い、クリエイティビティに長けた人材が必要でした。私自身もその分野の専門ではないので、まずはできる人を増やそうと思ったんです。こうして30人ほどの社員を一気に採用しました。

 そして2019年の9月にプレオープンの状態でイベントを開催することに。でも、その時の社員たちの動きを見て私は焦りを覚えたんです。彼らの動きをみると、まったくチームができていなかった。私はこれでは ダメだと焦った。もう一度人間づくりからやり直し、土台を固めてからスタートしなければいけないと強く感じたんです。その時点でイベントホールの設備投資には3億~4億ほど掛かっていましたが、私は意を決してイベント事業を白紙に戻しました。

 私は自分が一番やってはいけないと言っていた「お金で箱モノをつくり、そこに人を投下するビジネス」をやってしまっていた。完全に人を装置化してしまっていたんです。私は自分の頭をトンカチで殴りたい気分だった。自分の不甲斐なさにガッカリしました。こうして私はイベント事業を解散させてしまったんです。

DXと同じくらいHXが求められる

―子安さんの人に対する考え方はどのように培われたんですか?

 原体験はたくさんあります。特に親の影響で3歳からラグビーをしていたことが大きいかもしれません。私が通っていたラグビースクールには『7つの精神』というポリシーがあった。その7つの精神をベースにファクトリージャパンの行動指針をつくっていたほどです。

 ラグビーはゲームルールが非常に秀逸なんです。まず15対15という数ある競技の中でもフィールドに入る人間がもっとも多い競技であること。15人全員が個々の役割を担っていて、どれかひとつでも崩れれば全体が崩壊してしまう。ほかにもボールを前に落としたら攻守交替という重い罰則があったり、ボールを後ろにしか投げられない、といった極めて非効率なルールになっている。こんなスポーツほかにないでしょう。

 だから前線で仲間が体を張って奪ったボールを、もし相手に渡してしまえばただでは済まされない。そんな暗黙の責任感があるんです。また、接触スポーツなのでサッカーのラッキーゴールみたいなのはない。番狂わせは起こりにくく、地力がそのまま結果に反映されるスポーツなんですね。

―2019年に日本で行われたラグビーW杯も大変盛り上がりましたね。日本も大健闘でした。

 もともと日本はラグビーW杯で1勝もしたことがなかったんです。正直、選手や監督、ラグビー協会の関係者たちも到底勝てるとは思ってなかった。試合の前から気持ちで負けてました。

 しかし、2011年12月にエディー・ジョーンズ(※)がラグビー日本代表のヘッドコーチになった。エディーは日本人の一致団結する力や調和力は、世界でもトップ5に入ると選手たちを勇気づけました。そんなことを外国人から教えられたんです。それで選手たちのモチベーションは上がった。

 エディーはこれが日本人の国民性であり、この連中なら今までやったことがないような過酷な練習にもついてくるんじゃないかと思いつく。それで、あの死のトレーニングが始まったんです。実際、選手たちは死に物狂いでついていきました。

 そして、ついにその時がきた。日本代表は2015年にイングランドで開催されたラグビーWカップで世界の強豪南アフリカを破ったんです。これはラグビー史に残る大金星。私はそれを見て、やはり日本人らしい世界との戦い方がある。日本人は良さをうまく出せばビジネスでも世界で戦える。そう確信したんです。

※エディー・ジョーンズ:オーストラリア出身の世界的に有名なラグビーの監督。2011年12月から2015年のラグビーWカップまで日本代表の監督に就任した。

―日本人の強みをどのようにビジネスに活かせるとお考えですか?

 よく人を活かすというと、情緒的に人に寄り添うようなイメージを持たれがちです。でも、私はそうではなく土台をつくってあげることだと思うんです。三つ子の魂百までと言いますが、ひとたび土台ができた人間は暴走しませんから。

 だから面倒かもしれませんが、人の本質を理解してしっかりと土台をつくること。今は若いひとたちがITを使ってビジネスを成功させるケースも増えています。でも、それゆえに人の本質を無視して、儲かるからと言って表面上の流行り廃りに流されてほしくはありませんね。コロナでDXが重要と言われますが、私はそれと同じくらい『HX(Humanizm transformation)』も大事だと思います。

人の本質を地方で実証したい

―今後のビジョンを聞かせて下さい。

 地方創生特化型のビジネスアカデミーを企画してます。なぜ地方かというと今の日本はあまりにも都市に集中しすぎている。たしかに人口密度が高いところでビジネスをすれば成功確率は高まるかもしれません。逆に地方の小さなマーケット規模ではビジネスには適しておらず、コンピューターの計算では弾かれるでしょう。でも、だからこそ私は数値化できない人のポテンシャルを活かすことで地方にチャンスがあると思うんです。

地方創生研修

 この地方創生ビジネスアカデミーの参加対象は特に絞ってません。強いて言うなら、まっさらな10代~20代の若者や、少し本質を理解し始めたけどアウトプットできていない30代の人たちに是非来てほしい。ビジネスを学ぶだけでなく、人の本質も学んだうえで地方でのビジネスに挑戦してもらいたいですね。

 地方創生は15年ほど前から国が多額の予算をかけてやっているものの成功事例がほぼない。だからエディー・ジョーンズではないですが、私が直接その地域を盛り上げにいきたいと思っています。まず最初のエリアは熊本県の南阿蘇にしようと思っています。南阿蘇で成功モデルを作ってこの活動を広げていきたいですね。

―ありがとうございました。


子安 裕樹(こやす ゆうき)プロフィール

プロフィール:子安 裕樹(こやす ゆうき)
1970年、横浜市生まれ。体育大学に入学。海外や日本各地で予防医学を学んだ後、1998年に横浜南整体院を開院。2001年に『カラダファクトリー1号店』をオープンし、株式会社ファクトリージャパンを設立。後継者が育ったことを機に、2015年にバイアウト。その後はシンガポールやタイで事業を立ち上げる。現在は、地方創生特化型のビジネスアカデミーを考案している。

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