出口のその先に 第5回

株式会社レアジョブ / Zuitt.Inc 創業者 加藤 智久

敷かれたレールの上を歩くのではなく、自らレールを敷く。中学高校は開成。同級生たちが「いい大学に行って、いい会社に入る」と勉強に励む中、加藤は学校を飛び出して自らの道を探した。たどり着いたのは大前研一氏が日本のリーダー育成のために創設した「一新塾」。加藤は史上最年少の塾生としてそこに通い、人生の師と出会った。大学は一橋に進学。師と共に「大学6年計画」を立て、大学在学中にスタートアップでの修業や海外での長期滞在など様々な経験を積む。大学卒業後は戦略コンサル会社で勤務し、2007年に独立してオンライン英会話のレアジョブを創業。すると、わずか7年でマザーズ市場にIPO(株式上場)した。しかしIPOして3年後に同社の経営を退き、フィリピンでプログラミング教育事業を立ち上げる。「アホかと思うことを繰り返したい」、「世界最大の大学をつくりたい」。そう語る加藤は、今フィリピンでどんな景色を見ているのか。今回はそんな加藤の「出口のその先に」を聞いた。

自ら創業したレアジョブを退く

―加藤さんは2015年に社長から会長になり、17年には会長を退任されました。どうしてレアジョブの経営を退いたんですか?

 まずレアジョブを創業時の想いからお話しましょう。私がレアジョブ英会話を創業したのは、フィリピンを初めて訪れた時に現地の大学生と話をしてワクワクしたからなんです。

 フィリピンの学生たちは優秀でした。でも彼らは仕事がないと言っていた。私はもし日本の雇用機会をこの優秀な人たちに届けられれば、すごいことが起こるに違いないとワクワクしました。そしてスカイプを活用してフィリピン人講師が日本人にオンラインで英会話を教える、というビジネスをスタートしたんです。

 オンラインで働く時にどこにいるかは関係ない。才能があり努力しているかだけが問われます。レアジョブは講師に自宅で働いてもらう形態なので、ネット回線さえあればどこにいても働ける。だから個人の能力と努力だけが評価される仕事なんです。そんなレアなジョブだからレアジョブ英会話。これがサービス名の由来にもなっています。

 またレアジョブのビジョンは『Chances for everyone, everywhere.』で、創業時からこの言葉をずっと使っていました。そして1、2年経ってから『日本人1,000万人を英語が話せるようにする。』というミッションができた。

 私はどちらかというとミッションよりもビジョン寄りの人です。もちろん、日本人よりフィリピン人がどうこうという意味ではありません。ビジョンにも掲げているように、機会がより乏しいところに機会を提供することに興味があるんです。つまり現時点ではフィリピンへの機会提供に興味があります。

―レアジョブを創業したのは機会が乏しいところに機会を提供するため。そのカタチとして、スカイプを使って優秀なフィリピン人に雇用機会を提供したというわけですね。

 起業当初はゼロからの立ち上げですので、フィリピン人が10頑張ればプロダクトの魅力が単純に10上がり、日本での売上も10上がりました。正解を日本人が定義せずとも、フィリピン人が自分たちの頭で考えたことが成果に繋がったんです。ただ段々と売上成長の鍵は日本側のマーケティングになり、その比重は大きくなっていきました。

 プロダクトを改善する時も、日本の市場なのでニーズをよく知るのは当然日本人。フィリピン人が独自性を発揮しようにも、どうしても日本の市場ニーズとピントがズレてしまう。日本人が描いた絵に従ってくれた方がありがたい。そんな状況になってしまっていた。

 でも、正直私はそれがつらかったです。もともとフィリピン人たちには自分の頭で考えることを求めてきたわけですから。私は前職の戦略コンサルで学んだ問題解決の手法を彼らに教えたりもしてきた。それなのにフィリピン人の能力を活かしづらい状態になってしまっていたんです。

 レアジョブの新規事業として、フィリピン人がフィリピン人向けに事業をやればよかったのかもしれません。フィリピンで英会話教育のニーズがなければ、何か関連する教育事業やIT事業でもよかったでしょうし。そうすればフィリピン人が情報を集め、必死になって考えながら自分で決め、数字の達成を狙うような事業ができたかもしれない。しかし、どうしてもつきまとうのが「その新規事業はレアジョブの中でやる必要があるの?」という質問でした。

 レアジョブは日本人向け英会話サービスの会社として上場した会社。レアジョブに株主が求めるのは、正確な予実管理に基づくなめらかな右肩上がりの成長です。ただでさえ新規事業は収益予測が立ちづらいもの。それを本業以外の領域で、なおかつ新興国で行おうとしている。しかも事業計画は、日本で日本人の経営陣が日本語で議論するんです。

 これはあまりにも無理があるスキームです。経営として正しいのは「レアジョブは英会話の会社」と的を絞ることでしょう。そうなると、やはりレアジョブではフィリピン人によるフィリピン人向けの事業は難しい。私は自分がやりたいことと、レアジョブでやるべきことの間で葛藤しました。

―フィリピン人が自分で考えて動く事業を立ち上げようと思ったものの、上場企業としての責任が制限になったんですね。

 上場企業で経営の舵取りをするのは私にとって誇るべきことでした。しかし一度きりの人生です。自分にしかできないことがしたい。でも公器となったレアジョブでそれを実現するのは難しい。

 私に与えられた選択肢は三つしかありませんでした。会社を曲げるか、社会を曲げるか、その場から立ち去るか。私は熟考した末に自分がレアジョブを去ることにした。私にとっては身を引き裂かれるようなつらい決断でした。

 でも一方で、自分が去ってから経営陣は株価を5倍以上に上げてくれました。痛みは伴いましたが正しい決断であったとも思っています。

フィリピン特有の課題に適応したサービスで世界へ

―加藤さんがレアジョブを辞めてまで挑戦したかったことは何なんですか?

 フィリピン人向けの事業をやりたかったんです。レアジョブにいた頃、フィリピンでは日本以上にエンジニア採用に苦労しました。フィリピンにはエンジニアになりたい人はたくさんいますが、大学のIT教育がうまく機能していなかった。

 だから当時は採用施策を工夫しました。プログラミングを0から教える3ヶ月間のインターンシップを行ったんです。求人媒体で募集をかけると、なんと約1,000人から応募があった。それを100倍で絞って10名を受け入れました。

 丁寧にティーチングで教える余裕がなかったので、課題を与えて自分たちで考えさせたり求職者同士で教え合うなど、今で言うコーチングを行いました。その3ヶ月間を10名全員が乗りきり、うち3名をレアジョブで採用した。その3名全員が幹部エンジニアとして活躍しました。残りの7名もその多くが他社でエンジニアやディレクターとして働いていると聞いています。

 何よりも学んでいる時の彼ら彼女らの笑顔が素敵でした。「あぁ、自分はこういうことがやりたいんだな」と気づきましたね。これを採用施策ではなく収益事業としてスケールしたいと思い、レアジョブの新規事業として取締役会に提案しました。でも、先述の事情もあってレアジョブ内でやることは断念したんです。

 機会を必要としている人たちに機会を届ける能力が自分にはある。しかし上場企業としての責任など、それを許さない事情がある。自分にとって正しいことは何だろうか。そうやって熟考し、私は新しく会社を作りました。

―実際にどんなサービスを始めたんですか?

 フィリピン人向けのプログラミング教育事業です。エンジニアになりたいけど、ソフトウェア・エンジニアリングを学んだことがないフィリピン人に3ヶ月間の集中研修を行います。ビジネスの形態はフィリピン特有の環境に合わせて工夫しました。その一つがお金のもらい方です。

 我々のスクールは欧米などと比べて、約20分の1の価格で授業を提供しています。それでも大半のフィリピン人にとっては高額です。これでは、お金のあるなしに関わらず教育機会を提供する私たちのビジョンが実現できない。

 そこで考えました。我々はエンジニアに育てることには自信がある。エンジニアになりさえすれば給料は上がる。エンジニアになった後に3年かけて分割払いしてもらえば良い。そんな発想になったんです。弊社ではこれを「Study Now,Pay Later」と呼んでいます。生徒の大半がこの分割払いのプランを申し込みますね。

コーディング・ブートキャンプの社員たち(前列中央が加藤)

 

―フィリピン特有の課題に適応したサービスなんですね。

 会社の社員は全員フィリピン人で、彼らのおかげで市場ニーズを捉えたサービスをつくることができたんです。自分の頭で考えてやり抜く人たちには、お陰様でまた恵まれました。

 これまでに100以上のクラスを行い、1,500人以上に研修を提供してきた。卒業生の就職先実績は200社以上にのぼります。これはフィリピンではダントツでナンバーワンの実績です。受講生が増えるにつれてデータも増えます。エンジニアとしてのキャリアに興味が出た状態から実際にエンジニアとして活躍するまでのプロセスをデータで最適化しようとしていますが、量が質をもたらす好循環を実感していますね。

自己資本だからこそ「アホか」と思うことが繰り返せる

―今の会社とレアジョブでは、経営するうえで何か変わったことはありましたか?

 レアジョブの時は外部から資金調達しました。おかげで経営においてアクセルを踏むことができ、支えてくれた投資家の方々にはとても感謝しています。一方、今回はIPOで得た自己資金で経営しています。だから投資家にとってどうかではなく、自分が目指すものに集中できるんです。

 たとえば、受講生にとってベストな経験はリアルタイムで行われる授業なんです。しかし投資家目線では、録画授業やアプリでの自習にした方が限界利益率(※)が高くなり評価されやすいです。

 また当初の授業は全て対面で行ってました。場所を借りて教室を作り、パソコンを並べて回線を引く。コロナ後は全てオンラインで完結し、教室は不要になりましたが、初期の投資額は相当でした。

 それなのに受講料はフィリピンの物価に合わせた金額。回収サイクルも分割払いが多いため長期です。傍から見れば、「連続起業家なのに、なぜこんなことをしているんだろう?」と思われるかもしれません。ましてや投資家目線では「アホか」と思うようなことでしょう。でも、それをあえてやってきました。

※限界利益率:売上に対する限界利益(売上高ー変動費)の割合。会社の収益性を確認するひとつの指標で、一定以上の売上高を達成すれば、限界利益率が高いほど収益性が高い。

―あえてやっているというのは、どういうことですか?

 私はスタートアップとして急速に成長しながらも、しっかりと営利事業をやりたいとは思っています。いずれは経営のアクセルを踏むので、投資家に対して説明できるようになる必要もある。しかし今は説明を頑張るタイミングではありません。

 受講生がエンジニアになりたいと思ってから、実際になった後に活躍するまでのプロセスを最適化すること。スケーラブルにする上でのボトルネックを潰すことに全力を捧げたい。

 そのためには他者への遠慮や説明コストなしに、「アホか」と思うような投資を繰り返したい。どのアクセルをどれだけ踏めば、トップラインがどれだけ成長するか。また成長に伴う痛みをどう防ぐか。それがようやく見えてきつつあるように思います。こんな投資をしても時間的、精神的な猶予を確保できるのが自己資本でやるメリットだと思います。

 あとは単純にフィリピンだけに閉じた事業を行っているのも、レアジョブの時との大きな違いです。以前は2週間ごとに日本とフィリピンの2カ国を行ったり来たりする生活を10年間送っていました。子どもは5人いるのですが、今の会社だと毎晩一緒に遊ぶことができて楽しいです。

開成で磨かれた人生の軸

―話は変わりますが、加藤さんは千葉育ちで、中学高校は名門の開成ですよね。どんな学生生活を送りましたか?

 私は中3から高1にかけて旅行委員会の委員長をしました。開成には学内行事を生徒に任せる文化があります。修学旅行も生徒が旅のプランを作り、教職員はそれを承認するだけです。ただ物見遊山するだけの旅行はつまらないと思った私は、農家の家に泊まって農業体験するような体験型旅行を提案しました。

 そのプランを一枚の紙にまとめて同級生たちに配ると、予想だにしない反応が返ってきました。「なんでせっかくの修学旅行で農業なんてしなきゃいけないんだ!」「普通に旅行させろ!」そんな反対の声が多く挙がった。そして挙句の果てには「こんな資料は紙の無駄だ!」という声まで(笑)。

 しかし、私も簡単には折れませんでした。翌週には裏紙を使って再度ビラを配り、「これで紙の無駄じゃないだろう!」と真っ向から対抗(笑)。1年間やりあった末に「加藤は使えないやつだ」という悪評が学校中に広がりました。

―生徒同士でそんな活発な議論が起こるなんて、さすが開成(笑)。

 多くの反対意見や自分の準備不足もあり、残念ながら高1のときは体験型旅行を実現できませんでした。私自身は諦めてないものの結果として実現できなかった。私は挫折感を味わい、自己不信に陥りました。

 でもその年に筋道ができたことで、翌年この体験型旅行をファームステイとして実行することができました。ただしその時の旅行委員長は私ではなく私の親友です。その親友は永井健太郎君といって、今はアジアやアフリカでSenriというスタートアップをやってますね。かく言う私はあの騒動から不人気で、旅行委員長はおろか副委員長にすら当選できませんでした(笑)。

 最終的にファームステイに4分の1の生徒が参加してくれ、高い評価を得ることができました。同級生では永井君のほかレアジョブ現社長の中村君、そしてfreee創業者の佐々木君も参加してくれたと記憶しています。

―この経験は加藤さんの人生にどのように影響してますか?

 みんなから反発を受けて、すぐ自分の案を取り下げることもできました。でもそうはしたくなかった。不器用だったと思うのですが、正直反発を受けた時はなぜ反発されるのか理解できませんでした。それでも自分の意志を曲げず、周りにも恵まれて旅行を実行できた。最終的に一部の人には褒めてもらえた。「最高の修学旅行」、「人生で初めての経験」という嬉しい言葉ももらえました。

 この出来事で私の人生の指針ができました。私は自分がいいと思ったことをやる。多くの人に反対されてもやる。自分のやることをいいと思ってくれる少数の人たちのために自分は生きる。そんな風に考えるようになったんです。

本当の学びは学校の外にある

―旅行委員会の後は何をされたんですか?

 燃え尽きていました。同級生はいい大学に行こうと毎日長時間勉強しています。「いい大学に入ってどうするの?」と聞くと「いい会社に入る」という答え。「いい会社って?」と聞いても皆よく分かってはいない。

 皆と同じように勉強しなければならない。そう思えば思うほど、なぜ勉強するのかが分からず勉強が手につかない。学校の授業も聞かず、最前列の窓際の席で中古書店や図書館の本を毎日ずっと読んでいました。ジャンルは様々でしたが、あるとき偶然手に取った大前研一さんの本に大きな感銘を受けたんです。

 大前さんについて色々調べているうちに『一新塾』のホームページにたどり着いた。一新塾は大前さんが日本のリーダー育成のために創った塾です。各界の著名人をはじめ何よりも大前さんの話が直接聞ける。私は面白そうと思ってその門を叩きました。

―思い切って高校から飛び出したんですね。

 私は史上最年少の塾生でした。大学生すらあまりいない。毎週水曜の夜7時に集まって社会人に囲まれながら学びました。そこでの学びは学校で教わることとは全く違うものでしたね。講演は毎週ワクワクしました。川淵三郎さん(Jリーグの初代チェアマン)や小池百合子さん(現東京都知事)などの話を生で聞けたんです。政治家から実業家まで最前線で活躍されている方々の話は本当に刺激的でした。

 その中で私はあることに気付きました。講師の方々は誰かが敷いたレールの上を歩くのではなく、自らレールを敷いてきた人たちだと。「いい大学、いい会社ってなんだろう?」。そんな疑問に囚われて身動きができなくなった自分は、敷かれたレールを歩くことはどうやら向いていないらしい。

 講師に、「何がきっかけでそのような人生を歩み始めたのですか?」と聞くと、だいたい答えは共通していました。二十歳前後で何かしらの原体験をし、人とは違う方向に歩み始めたらしいのです。

 『一新塾』では人生の師とも出会いました。同じ開成出身で戦略コンサルティング会社マッキンゼーで勤めた後、RCFというNPOで代表理事をしている藤沢烈さんです。東日本大震災の復興支援において最大のNPOであるRCFを率いて、復興支援策を内閣府に提言するなど、Mr.復興とも呼ばれるすごい人です。私は烈さんの弟子1号となりました。

大学6年計画

―開成卒業後は一橋大学の商学部に進学したんですね。どんな大学生活を送ったんですか?

 当時の烈さんは東京都北区の王子で「狐の木(きつねのき)」というバーを経営してました。私は高校生の頃、週2、3日そこに通ってお店が開く前にオレンジジュースをご馳走になっていました。そして烈さんと一緒に大学6年計画を立てたんです。

―大学6年計画?4年ではなく?

 6年なんです(笑)。2年間休学しての大学6年計画。というのも一新塾で出会った尊敬する方々は、20代前半にその後の人生を左右する原体験をしてました。一橋は4年制大学ですが、2年間休学して学外の活動に励み、自分の人生を左右するような原体験を積もうと思ったんです。

大学6年計画

―具体的に何をしたんですか?

 1年目は柔道部に入って黒帯を取りました。上級生からは引き止められましたが、大学6年計画通り1年で退部させてもらいました。

 2年目は休学してスタートアップに飛び込み、1年半フルタイムで働きました。ポイントサイト、今で言うリワード広告を運営する会社だったのですが、私はそこでサイトの企画、エンジニアやデザイナーを束ねるプロジェクトマネジメント、クライアントへの営業、ユーザーへのポイント付与まで一気通貫で担当しました。

―スタートアップで働く中で、記憶に残ったことはありますか?

 オン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)時代の堀江貴文さんに会った時のことです。私が働いていたスタートアップはオン・ザ・エッヂから出資を受け共同事業を行っていました。しかし私のプロジェクトが失敗し、1,000万円単位の機会損失を生んでしまったんです。

 謝罪するために社長や会社の幹部全員で堀江さんのところに伺いました。堀江さんは頭を下げようとする我々を制して言いました。「過去のことはいいから」、「それよりも同じことが起きないようにどうしたらいいか、一緒に考えましょう」

 当時の堀江さんはまだ30歳手前。会社は上場して勢いに乗っており、ベンチャー界隈では有名でした。自分と年齢がそこまで変わらない時代の寵児は、投資先が大きな損失をもたらしても平常心。未来志向で次に向かうポジティブな姿勢を決して崩さない。

 フルタイムで働くいち学生の自分とのギャップをまざまざと見せつけられ衝撃を受けました。どうすればギャップが埋まるか、それからずっと考えましたね。

―スタートアップで働いた後は何をしたんですか?

 長期で海外旅行に出ました。中国に半年ほど滞在した後、メキシコにも長期滞在しましたね。私はサーフィンが好きなので、メキシコでサーフィンの地として有名なプエルト・エスコンディードというビーチに行きました。そこには日本人女性が経営する『Sakura』という日本食レストランがあり、そこに入り浸って旅人やメキシコの人々と交流したんです。単身メキシコで商売する30代の日本人に憧れて、3ヶ月ほどそこで働きました。

 またその時にレアジョブを起業するうえでカギとなるスカイプにも出会いました。スカイプを実際に使ったときは本当に衝撃でした。インターネットが飛躍的な進化を遂げたぞと。当時のインターネットはテキストと画像がまだまだ主流の時代。それがスカイプを使えば、遠くにいる人と目の前にいるように話せる。しかも無料。私はこの領域でビジネスをやろうと決断しました。

プエルト・エスコンディードの日本食レストランSakura
右端が加藤、最前列の女性がオーナーのMihoko氏

会社の休暇でフィリピンに飛び込み起業した

―当時からレアジョブ英会話の構想を持っていたんですか?

 スカイプを使ったビジネスを考えていたものの、具体的なビジネスまでは落とし込めていませんでした。帰国後は予定通り、内定していた外資系戦略コンサルティングファームに就職しました。

 その時も師匠の烈さんから「コンサルに就職するなら3年以内に起業するか、3年以上勤めてパートナー(役員)になるかだ。加藤君はどっちにするの?」と聞かれました。私は迷わず3年以内に起業すると宣言。起業を念頭に置きながら社会人生活をスタートさせました。

 コンサルはプロジェクト中は忙しいですが、プロジェクトの合間や休日などの空き時間に自分の事業を模索していました。ちょうどその頃、中国人の友人が日本にいました。コミュニケーション能力は高いし外見もいい。ただし日本語ができないので日中ずっと家にいる。そこでスカイプを使って中国語を学びたい人をマッチングし、中国語を教えるビジネスを提案したんです。

 早速、開成の同級生である中村君(レアジョブ現社長)にお願いしてWebサイトを作ってもらい、ユーザーを募集しました。友人に「使ってよ」とお願いしましたが、「英語だったらやるよ」と。残念ながら中国語は諦め、英会話にピボットして再スタートすることにしました。

―そこからどうやってレアジョブ英会話に至ったんですか?

 実は既に何社かオンライン英会話サービスはあり、フィリピン人講師を使っているところもありました。私は自分でそれらのサービスを利用して、フィリピン人が良さそうだなと思っていたんです。

 そして会社の休暇を利用してフィリピンに英会話講師を探しに行きました。現地になんのツテもなかったので、とりあえずフィリピン最高学府のフィリピン大学に行きましたね。大学内にあった一晩2,000円の安宿に滞在しながら協力してくれる人を探したんです。

 その安宿の受付のお兄さんから始まって、会う人みんなに「日本人に英会話を教えるフィリピン人を探している。どこに行けば会えそうか?」と聞いて回りました。そして、どうやら大学構内に英会話講師を募集する貼り紙を貼れば良さそうだと気づいた(笑)。

 その貼り紙をみて応募してきた一人が、後の共同創業者となるフィリピン人のシェムです。その後シェムがフィリピンで英会話講師を集めてくれることになり、レアジョブ英会話のプロトタイプができたんです。

フィリピン最高学府のフィリピン大学に突撃

英会話講師募集の貼り紙
シェムとの出会い

―立ち上がりはうまくいきましたか?

 いざサイトオープンしてみると、最初の2ヶ月間でお金を払ってくれた人は2、3人だけ。数字だけで言えば全くの失敗です。それなのになぜだかワクワクが止まらない。会社のプロジェクトにもアサインされ、コンサルとして働かなければいけないのに、頭では常にレアジョブのことを考えてしまいました。「あのページのここを、こう変えればユーザーがもっと反応してくれるかもしれない」、「講師にはこんなことをお願いしたい」などなど。

 ある会議中のこと。私はうわの空で会議に参加していました。すると上司がボーっとしている私を見て、「加藤さんはプロフェッショナルではない」と叱責したんです。ごもっともでした。

 「プロフェッショナルではない」というのは、コンサルとしては最低の評価です。「コンサルであることはあきらめなければならない」そう思って会社を辞めました。

月額定額制というイノベーションで急成長

―立ち上げからIPOに至るまで、どのような転機がありましたか?

 さすがに有料会員が2、3名では商売になりません。転機になったのは月額定額制の導入でした。当時は月5,000円定額で25分間の英会話レッスンが毎日受けられるサービスにした。これがイノベーションになりました。

 他社のサービスは全てチケット制を採用していました。レッスンの度にユーザーはチケットを消費する。つまり勉強するほど財布と心が痛むモデルです。一方、月額定額制ではレッスンを受けないともったいなくて心が痛む。だからユーザーは積極的に受講し、継続学習するようになるんです。単にフィリピン人が格安で教えるだけではダメでしたが、定額制にしたこととと講師をフィリピン大学に絞ったこと。その2点が評判となり、一気にサービスが伸びました。メディアからも取材が入りましたね。

―月5,000円定額は衝撃的な価格ですね。

 ただし、定額制を成り立たせるには多くのフィリピン人講師を供給できることが条件です。競合他社はフィリピン人講師のために専用のオフィスを設け、そこに講師を集めてレッスンを提供してました。しかし、それだと講師の供給量に限界があります。

 その課題を解決するため、自宅で働けるという条件で講師を大量に集めました。この方法なら初期投資を抑えられます。難しかったのは品質の担保。講師のスクリーニングや品質管理をスタッフたちが努力して行ってくれたおかげで、質と量の担保に成功しました。そしてレアジョブは急速に成長を遂げ、2014年に東証マザーズIPOに至りました。

東証マザーズ上場セレモニー
左が加藤、右が現レアジョブCEO中村 岳氏
レアジョブメンバーとの打ち上げ(前列右から2番目が加藤)

会社が変わっても、変わらないビジョン

―そこから退任を経て、現在のフィリピンでの活動に至るわけですね。最後に加藤さんの今後のビジョンを教えてください。

 レアジョブのグループビジョンは「Chances for everyone,everywhere」ですが、今の会社のビジョンもよく似ていて、「Opportunities for everyone, everywhere」です。

 誰でもどこにいても機会が得られる。才能と努力が評価される世界をつくりたい。この想いはレアジョブ創業時から全く変わっていません。

 私はフィリピン人が世界一の英会話講師であることを、レアジョブで一定程度は証明できたと思っています。そして今度はフィリピン人とプログラミング教育に取り組んでいる。この分野でもフィリピン人が中心となって世界一の授業ができると証明したい。でも、まだ今の事業はフィリピンの社会人のために、オンラインでプログラミング集中研修を提供しているに過ぎません。

ZUITTのグループビジョン

―今後どのように広げていかれるんですか?

 私はゆくゆくこれを「世界最大の大学」にしたいと思っています。現在世界最大の大学はインドにあるインディラガンジー国立オープン大学で、生徒数は300万人。それを超える民間の大学を作りたい。2030年に世界中で不足すると予測されている熟練労働者数は8,520万人もいて、新たに生産性の高い労働者を生み出すための教育はまだまだ足りていません。

 そのためには五つのチャレンジがあると考えています。一つ目は、生徒をフィリピン人に限らず世界中から集めることです。オンラインでやる以上、国境は関係がありません。二つ目は、大学としてのライセンスを獲得することです。大卒資格を取れるようにすることで、社会人だけでなく学生にも積極的に来て欲しいと思っています。

 三つ目は、昼間にフルタイムで働きながら夜間や休日に学べるか。世界の大学進学率は約4割と言われています。新興国ではより低いでしょう。その大きな理由は、弟や妹など家族を養わなければいけないから。学費無料でも不十分なのです。才能のある人が働きながら学べる場をつくりたい。

 四つ目は、学べばお金が稼げるようになることです。もちろんお金になりにくい分野にも、学ぶ価値があることはたくさんあります。お金に余裕がある人はそれでよいと思いますが、私は貧困の連鎖を断ち切る応援がしたい。具体的な分野として、当面はコンピュータ・サイエンスに絞るべきだと思っています。しかし単にウェブアプリを作れるだけではダメで、データサイエンスやセキュリティなど付加価値の高い領域も必要です。

 五つ目は以上の点を総合するのですが、企業と学生を繋ぐマーケットプレイスとしての大学であることです。つまり企業と人材が出会う場になりたいと思っています。企業は学習意欲が高い人材に早期から接触することで、人材を青田買いできる。また学生たちの大学在学中の評価を可視化し、企業とのミスマッチを防いでオン・ボーディング(※)の不確実性を下げられる。そんな価値を提供したいです。そのために企業にも営業をかけて、長期のWin-Win-Winの関係を、企業とも学生とも構築しなければいけません。

 フィリピンのような新興国はもちろん、日本のような先進国であっても、大学に行きたくても行けない人が大勢います。一方で企業はエンジニアなど特定の職種において人材不足を嘆いている。どの国のどんなに貧しい人でも学ぶことの費用対効果が合うようにすること。それが私の人生をかけて解くべき課題です。

 フィリピンで優秀なフィリピン人と働くのは自分にとって楽なことですが、この居心地のよい環境は抜けなければいけません。CMOやCFOなど、共に組織の責任者として挑戦するCxOは日本人からも求めています。ぜひSNSでお声がけください。

※オン・ボーディング:新たに入社した人材に適切なサポートをし、職場に定着させるまでのプロセス。

―ありがとうございました。


加藤 智久(かとう ともひさ)プロフィール

プロフィール:加藤 智久(かとう ともひさ)
1980年、愛知県生まれ。千葉県育ち。開成高校を卒業後、一橋大学商学部に入学。2005年よりモニター・グループ(現:デロイト)で戦略コンサルタントとして勤務。2007年にレアジョブを起業し、2014年にはマザーズ市場にIPO。2015年、代表取締役会長に就任。2017年6月末に会長職を退任、非常勤取締役となる。その後フィリピンでプログラミング教育事業を展開するZuitt groupを起業。「ハンマー&ダンス」邦訳者。0男5女の父

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