出口のその先に 第2回

エクスメディオ 創業者 / 精神科医 物部 真一郎

人を温かく包み込むような存在感。親しみやすく、物腰も柔らかい。いっけん無邪気そうにも見えるが、経歴を見るとすごい。国立大医学部卒の精神科医であり、学生起業した後にスタンフォード大学でMBAまで取得している。2019年には自身で起業した医療系スタートアップのエクスメディオをバイアウト(会社売却)させた。常に全力投球で生きてきて、高みを目指し続けてきた物部。自身の生き方で大事にしているのは「ワクワクするか」と「いかに社会に貢献できるか」。今回はそんな物部の「出口のその先に」を聞いた。

相思相愛のバイアウト

―2014年12月に医療系スタートアップのエクスメディオを起業し、19年4月にはマイナビ社にバイアウト(会社売却)しました。そもそもなぜバイアウトしたんですか?

もともと2018年からマイナビ社とは業務提携していました。この提携が非常にうまくいき、互いにユーザーが増えて相思相愛の関係だったんです。次第に提携という関係ではなく、マイナビ社と同じ船に乗ることも考え始めました。議論を重ねた結果、やはりその方がエクスメディオの事業成長にとってベストだという結論に至ってバイアウトを決断したんです。

―IPO(株式上場)という選択肢はなかったんですか?

 もちろんIPOも考えていましたが、やはりマイナビ社の存在が大きかったですね。彼らはエクスメディオの成長にとことんコミットしてくれる本当に頼もしいパートナーです。私自身もマイナビ社がどんどん好きになり、彼らと一緒にやりたいと強く思うようになりました。

 実はVCをはじめ外部から資金調達しており、投資家の方々からはバイアウトではなくIPOでのExit(投資回収)を期待されていました。でも事業成長のためにマイナビ社にバイアウトしたいという私の意思を率直に伝えると、投資家の方々もそれを受け入れてくれました。あくまで経営者である私の意思を尊重してくれた。本当に感謝しています。まぁ今でも酒の席では「やっぱりIPOしたほうがよかったんじゃない?」と言われますが(笑)。

―バイアウト後、物部さんは何をしているんですか?

 今はロックアップ(バイアウト後も一定期間は経営陣が会社に残る義務)期間で、現在もエクスメディオの経営に携わっています。

 また情報収集のためにエンジェル投資もしています。たとえば医療×VR領域のスタートアップや、心不全の予測機器を開発するスタートアップなどに投資しています。投資の目的は金銭的リターンではなく、投資先の起業家とディスカッションして最先端の情報に触れることです。

 スタートアップの投資と言っても、投資家はあくまで傍観者。投資家が経営に直接携わるわけではありません。経営アドバイスはしても、最終的な判断は起業家に任せます。なので私のように自分で経営してきた身からすると、正直じれったい(笑)。自分が起業家でもあったので、起業家の立場もよく分かるし。なかなか悩ましいですね。やはり自分は投資家タイプではなく、起業家タイプなのだと再認識しました。今は、知人から頼まれたら投資を検討する程度で、自分から積極的に投資先を探したりはしてません。

―バイアウトで大金が入ったことで何か変化はありましたか?

正直、大きく変化したことはないですね。もともと物欲もないですし。自分の趣味や贅沢のためにお金を使うようなこともしてないです。むしろ個人としてコスト削減を考えるようになりましたね。たとえば携帯電話を大手キャリアから格安SIMに変えたりとか(笑)。

 個人的にはバイアウトで得た資金を日々の生活費や資産運用に回すつもりはありません。得た資金は起業家として再び事業にチャレンジする際の燃料にします。

高知でタウン誌を創刊

―話は変わりますが物部さんの出身はどちらですか?

 京都の西京極です。中学と高校は同志社に通いました。両親も同志社を卒業しており、二人ともお役所勤めで典型的な公務員家系でしたね。転勤などもなく、京都から出たことがないような家庭でした。父は兼業で農業も営んでおり、早朝に畑を耕してから役所に行く生活をしてました。

―大学はどちらに行かれたんですか?

高知医科大学(現:高知大学医学部)です。高校時代に付き合っていた彼女が医学部志望で、自分も影響されて医学部を目指しました(笑)。高知を選んだ理由は高校時代に熱中した「よさこい」の本場だったこと。それと高知には物部村や物部川があり、おまけに高知大学には物部キャンパスまであるんです。そんなご縁を感じて、高知に行きました。

―学生時代は何をされてましたか?

 入学してから大学2年生までは、人生で初めて深く悩んだ時期でした。京都から高知に来たものの交友関係がうまく築けず、いつも暇で孤独感に苛まれる日々でした。都市から地方に来たことで自分自身をカッコつけたいという煩悩もあり、周囲からも完全に浮いていた。あの頃は生きていても楽しいことなんて一つもなく、世界が白黒に見えました。

 一時は本当に死のうかと思うほど悩み、どん底のどん底まで落ち込みました。でも、その時です。行き着くところまで行き着いたのか、妙に心が落ち着き、自分を覆っていた靄がぱっと晴れたんです。まるで太くて重い鎖から解き放たれたかのように吹っ切れた。

 不思議なことですが、そこからは反動で一気にアクティブになりましたね。自分でも信じられないくらいポジティブな人間になりました(笑)。

高知で過ごした大学時代

―立ち直ってからは何をしたんですか?

 大学2年の終わり頃、若者向けに『Velocity』という高知のタウン誌を創刊しました。

 ちょうど大学生の頃に全国的にタウン誌が流行っていて、私も興味があったんです。加えてインターネットもまだ普及しておらず、新しい情報を高知に持ち込むだけで価値が生み出せるんじゃないかと思いました。

 また当時のアルバイト時給はかなり低かった(笑)。それで、バイトをするくらいなら自分で事業をしたほうが稼げると思い、創刊を決めました。

 もともと私は幼い頃から雑誌を読むことと、文章を書くことが大好きでした。その中でも関西のディープな文化やライフスタイルを紹介する『L magazine』という雑誌を愛読してたんです。特に編集長の方が書く文章が、たまらなく好きでしたね。なので当時は「L magazineの四国版を作る!」というのが目標でした。改めて今振り返ると、起業願望よりも雑誌をやりたい気持ちが強かったのかもしれませんね。

―実際タウン誌をやってみてどうでしたか?

 いざ始めてみると取材を通じて高知の人との交友関係も広がり、一気に高知が自分の街だと感じられるようになりました。孤独だった白黒の世界から、人生に彩りが戻り始めたんです。事業を通じて自分自身の交友関係も広がり、読者や取材に協力してくれた方々からも感謝され、高知に恩返しもできる。起業って本当に素晴らしいなと心底感じましたね。でも、残念ながら『Velocity』はビジネスとしては収益化できませんでした。

 そこで収益化できる事業の柱を作らなければと、新規事業を模索。色々考えた末、まず医大生として馴染みのある医療機関にターゲットを定めました。幸いにも『Velocity』の運営によって雑誌作りのノウハウを蓄積してたので、それを応用して医療機関の広報誌を作ることにしたんです。デザインの凝った『Velocity』を見本誌に携えながら営業し、医療機関向けの制作事業は順調に売上を上げることができました。

―大学卒業後に物部さんは精神科医になりましたが、そのままこの事業を継続する選択肢はなかったんですか?

 事業を続けたい気持ちは山々でした。でも精神科医になるという当初の目的を思い出したんです。もともと精神科医を目指したのも、人の生き死にではなく、「人はどうしたら楽しく生きれるか」を追求したかったからです。

 学生時代の起業を通じて、確かに私の人生は楽しく彩り豊かなものになりました。しかし一方で、自分自身の力不足も同時に感じていました。タウン誌や広報誌制作で、関わった方々に広く貢献はできている。でも私の人生の目的である「人が楽しく生きる」ための深い貢献はできていないんじゃないか。果たして本当にこのまま事業を続けていてもいいのか。来る日も来る日も自問自答する日々でした。

 そして大学最後の6年生になって、やはり初志貫徹して精神科医になることを決意。そこから勉強に没頭し、無事卒業して精神科医になりました。大学卒業後は2年間、奈良県の吉田病院で研修医として働き、その後1年間は三重県の東員病院で働きました。精神科医として非常に充実した日々を送ることができました。

精神科医として病院勤務

―そこからどういった経緯でスタンフォード大学にMBA留学されたんですか?

 病院勤めをしながら、ある日ふと思ったんです。このまま精神科医として半径3キロ圏内に住む患者には深い貢献ができる。でも学生時代の起業では、影響の度合いは薄くとも高知の人口80万人(※)に貢献していた。このまま精神科医を続け、狭い範囲の中だけで貢献するのが本当に自分のしたいことなのか。それでいいのか。学生起業をやめて精神科医になるか悩んだ時のように、また自問自答し始めたんです。

 いろいろ悩んだ挙句、一度きりの人生、後悔はしたくない。やはり、もっと広く深い貢献をしたい。私は医師なので医療分野であれば深い貢献ができ、起業すれば広い貢献もできる。将来は医療分野で起業する。そんな決意が芽生えました。

 でも、学生起業の延長でやりたくはない。もっと経営をしっかり学んでから再チャレンジしたい。そこで海外MBAが脳裏に浮かびました。実は高校時代に雑誌『BRUTUS』でMBA留学の特集を読み、その時からずっとMBA留学に憧れを抱いていました。どうせ行くなら海外のトップスクールに入りたい。幸運にも大学時代に知り合った病院の院長先生が推薦文を書いて下さり、スタンフォード大学へのMBA留学が実現したんです。

※2021年1月時点での高知県人口は約70万人。

Googleエリック・シュミットにプレゼンして起業

―どんな留学生活でしたか?

 スタンフォード大学は起業家教育がとても進んでいます。その分野だけで4、50人も教授を抱えており、なおかつ起業にまつわる理論が徹底的に体系化されてるんです。しかもクラスメイトたちは世界から集う超一流のエリートばかり。毎日が本当に刺激的でした。

 あとはGoogle元CEOのエリック・シュミットやマイクロソフト元CEOのスティーブ・バルマーなど、世界トップレベルの経営者が直々に教える授業がある。そんな優秀な講師陣やクラスメイトたちとビジネスについてディスカッションする。今でも、本当に自分がそこに居たのか信じられないほど夢のような時間でしたね。

 周りがそんな人達ばかりだと、不思議と自分も成功するんじゃないかと自信が湧いてくるんです(笑)。私も起業欲がどんどん湧いてきて、起業で一旗揚げてやるぞと。成功しないわけないと。最高の環境に触発されて私自身が魔法にかけられていたのかもしれません。

スタンフォード大学でのMBA留学時代

 ある時『Entrepreneurship and Venture Capital』という授業を受けました。その授業ではチームを組んで1年間事業アイデアを磨き、最終的にエリック・シュミットにプレゼンします。日本では絶対にあり得ないチャンスです。その時に考案した事業アイデアで仲間と共にエクスメディオを立ち上げました。

逆風だったオンライン診療

―どんな事業だったんですか?

 専門医と非専門医をオンラインでマッチングするサービスです。最初は『ヒフミルくん』という皮膚科の領域に特化したサービスを提供しました。たとえば私は精神科医ですが、精神科の患者の中には皮膚疾患を抱えた人もいます。そんな時に皮膚科医からオンラインでアドバイスをもらえば、精神科医でも患者の皮膚疾患を理解でき、場合によっては対処できる。そんな風に医師同士が情報共有するサービスです。『ヒフミルくん』以外にも眼科の領域に特化した『メミルちゃん』もリリースしました。

エクスメディオ創業期
左から物部 真一郎、共同創業者 CTO 今泉 英明氏(現CEO)、Data Scientist 渡辺 晃生氏、Tech Lead 山本 拓也氏

 しかし、これらの事業は最終的にピボットしました。要因は競合他社に気を取られすぎたこと。顧客のニーズを汲み取って市場の中で差別化されたビジネスモデルをゼロから構築できなかった。

 また、当時はそんなにビジネスモデルの研究もしていませんでした。起業するなら、あらゆるビジネスモデルを熟知しないと自社に最適なモデルを構築できません。今でも誰かに経営アドバイスをする時は、ビジネスモデルをちゃんと研究したほうがいいよと必ず伝えています。

―ちなみにピボットした後はどんなビジネスをしたんですか?

 ピボット後は『ヒポクラ』という医師のための臨床互助ツールをリリースしました。簡単に言うと、医師たちが医療情報を交換し合うSNSのようなものです。対象も皮膚科や眼科だけでなく、あらゆる科に広げました。マネタイズモデルは医師向けのマーケティング支援です。医師に薬を売りたい製薬会社が主なクライアントですね。

 他社が先行している分野でしたが、『ヒポクラ』の差別化ポイントはスマホに強いこと。ニュースメディアの過去を振り返ると、ヤフーがPCからスマホに移行する波に乗り遅れ、一時期グノシーやスマートニュースにリプレイスされそうになりました。それと同じように、当時スマホ移行の波は医療分野にも来ていました。私も現場で働くひとりの医師として、やはり診療の現場ではPCよりもスマホのほうが圧倒的に使いやすいと感じていました。

―何か経営における困難はありましたか?

 過去に一度だけ、ある医師の団体と対立したことがありました。彼らは『ピポクラ』のようなオンライン診療サービスが普及すると、医師の仕事が奪われるのではないかと懸念したんです。「診療がオンラインでできるはずないだろ」と強くお叱りを受けることもあった。当時はまだまだオンライン診療は逆風の時代でした。でも最終的にはしっかり説明をさせていただき、みなさんの理解を得ることができました。

 それとバイアウト時も大変でしたね。ちょうど年末年始のタイミングでした。交渉も大詰めを迎え、いよいよ法的拘束力をもつ最終契約書(DA)を巻くフェーズに突入。しかし提示された株主間協定(SHA)と株式譲渡契約書(SPA)を見ると、交渉スタート時に基本合意書(LOI)で目線合わせしたはずの内容とかけ離れていたんです。結局年内にうまく着地せずハラハラしながら年越しを迎えました。あんな年越しはもうたくさんですね(笑)。

ケタの違う事業に挑戦したい

―今後は何をするんですか?

 正直まだ何も決まっていません。このままマイナビ社に残ってエクスメディオを続けるという選択肢もあります。あるいは、いつかまた自分で事業をやりたくなるかもしれませんね。

 エクスメディオでは二ケタ億円の事業をつくれました。でも個人的な野望としては、もっとケタの違う大きな事業をつくりたい。もちろんそれ自体が目標ではないですが、そこにどんな景色が広がっているのか、この目で見てみたいですね。

―ありがとうございました。


物部 真一郎(ものべ しんいちろう)プロフィール

プロフィール:物部 真一郎(ものべ しんいちろう)
1983年、京都府京都市生まれ。同志社中学校・高校を卒業後、高知医科大学(現:高知大学)に入学。2010年より奈良県の吉田病院、2012年より三重県の東員病院に精神科医として勤務。2013年9月にスタンフォード大学にMBA留学。2014年12月スタンフォード大学と高知大学のクラスメイトとエクスメディオを起業。2019年4月、兼ねてより業務提携していたマイナビ社に同社をバイアウト。

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