―イエローハットは今から50年前の1962年に誕生しました。自転車の行商から、東証一部上場の大企業にまで成長を遂げた理由は何ですか?
鍵山:最大の理由は❝志❞です。「理想の会社をつくる」という非常に強い想いを持っていたからこそ、ここまで成長できたのだと思います。もし私が儲けることしか考えていなかったら、途中で挫折していたでしょう。創業当時、自動車用品の業界では詐欺まがいの商売が横行していました。たとえば、少し雪が降るとタイヤチェーンの値段を10倍にする。雪が積もると20倍。業界全体がそういうことをしていたんです。これは絶対におかしい。私はカー用品の販売会社に勤めていたので、社長に直訴しました。せめて自社だけでも改めてほしいと。でも、あえなく却下されました。「商売というのは、儲けられる時に儲けなきゃいけない。みんなやってるから問題ない」と。そういう考えがたまらなく嫌になり、イエローハットを創業したわけです。
―創業期は順調に成長したのですか?
鍵山:いえ、苦労しました。当初は扱いたい商品がまったく手に入らなかったからです。「売れそうだな」と思った商品は、ことごとく仕入れることができなかった。そこで何十社ものメーカーさんを回り、在庫商品を借り受けました。そして、人気のなかった商品を自転車で売り歩いたのです。
いま考えると、「なぜ売れたのか」という商品がほとんどでした。おそらく、私にエネルギーがみなぎっていたんでしょう。すべて思い通りにならなかったからこそ、奮起したのです。
―その後、どうやって会社を成長させたのですか?
鍵山:❝いい会社❞をつくるまでに、10年以上の歳月がかかりました。当時は1960年代の高度経済成長期。ものすごい人手不足だったので、うちのような零細企業に新卒で来てくれる人はいません。入社してくれるのは、転職を繰り返して方々を渡り歩いた人材。そういう人はいろいろな辛酸を舐めているので、ものすごく心が荒れているのです。この人たちの心をどうやって穏やかにするか。これが大きな課題でした。当時の私は口下手で、うまく言葉で想いを伝えることができませんでした。もちろん、感動的な文章も書けない。だとしたら、働く環境をきれいにして、心を穏やかにしてもらうしかない。これが私に残された唯一の手段だったのです。
―鍵山さんのライフワークである掃除が始まったわけですね。
鍵山:そうですね。私は自社だけでなく、お客さまの店舗やトイレまで掃除しました。当時、カー用品関係のお店は汚かったんです。モノは置きっぱなしで、棚は油とほこりだらけ。そんな店内を徹底的にきれいにしました。また、商品の置き場所すら決まっていなかったので、見取り図を作成。何をどこに置くのかを決めました。さらに、駐車場もゴミと草でいっぱい。ドラム缶で一日中ゴミが燃やされており、燃えかすの灰がそこら中に飛び散っていました。私はドラム缶に詰まっているゴミと灰を箱に詰めて持ち帰り、ドラム缶を撤去してもらいました。しかしながら、こういった行為はまったく評価されませんでした。むしろ、「余計なことをするな」と怒られる場合が多かったのです。中には、掃除がきっかけで取引がなくなった会社もあります。
―なぜ顧客に怒られても掃除を続けたのですか。
鍵山:相手にとっては余計なことでも、私にとってはものすごく大事なことだったからです。その認識の差が縮まるまで、社内外ともに相当の年月がかかりました。社員からは「こんなことをするから、商売がうまくいかないんです」とか、「よそは汚いのに、なぜうちだけキレイにする必要があるんですか?」といった反発を受けました。でも、私は方針を変えなかった。まわりの人々に掃除の大切さを認識してもらうために、毎日掃除を続けました。
清掃活動がイエローハットに与えた影響、企業成長に繋がった点とは
―掃除を続けることによって、変化はありましたか?
鍵山:最初の10年くらいはありませんでした。むしろ、やればやるほど社員から「あてつけがましい」と批判されるようになりました。でも、他に良い方法が思いつかなかったんです。ですから、迷いながらも掃除をやり続けてきました。すると、設立から12年が経った頃、変化が起きました。なんと社員が自主的に掃除や洗車をするようになったんです。私が命令したわけでもなければ、規則で決めたわけでもありません。その後、掃除をする人数が少しずつ増えていきました。
―社員に浸透するまでに、10年以上の歳月が必要だったのですね。
鍵山:さらに10年が経った時、ほとんどの社員が朝早くから車を洗って、会社と近隣の道路を掃除するようになりました。おかげで「あの会社は掃除をする良い会社だ」と評判が立つようになりました。そして、さらに10年後、「掃除のやり方を教えて欲しい」という人が社外から訪ねてくるようになりました。NHKをはじめ、マスコミからの取材も増加。韓国やドイツからもメディアの取材が来ましたよ。中国の格言に「10年偉大なり、20年畏るべし、30年にして歴史なる」という言葉があります。こと掃除に関しては、この言葉は間違いありません。
―掃除はイエローハットの成長にどのような影響を与えたのですか?
鍵山:なにより社風が良くなりました。会社には職務規定や就業規則がありますが、そんなものをしっかり読んでいる人はいません。社員は職務規定に従って仕事をしているのではなく、社風にしたがって仕事をしています。ですから、社風が良くなれば、自然と良い行動をとるようになります。それがお客さまへの信頼につながっていくわけですね。実際、設立15年目くらいから、少しずつお客さまが認めてくださるようになりました。すると、社員が自信を持つんです。自分たちがやっていることは正しいことなんだと。次第に「あの会社は社員の態度や言葉遣いが良い。しかも誠実だ」と評価されるようになり、発展の基盤が固まりました。
―具体的に、どのような点が企業成長につながったのですか?
鍵山:たとえば商品を売る際、通常は一品単位で見積書を書きます。その中からお客さまが必要な商品を選別するわけです。でも、私たちは見積書を書かずにすみました。数千万円の取引でも、お客さまが信頼してくださったからです。
商売の基本はお客さまとの信頼です。決して、うちに特別な商品があったわけではありません。商品を安くしたわけでもない。それでも成長することができたのは、好意を持ってくださるような会社になれたからだと思います。
―信頼の根本に社風があり、社風の根本に掃除があると。
鍵山:最初の10年、20年にどんな種を蒔くかが大事です。周囲に評価されなくても、自分の信じた道を貫く。ビジネスとして掃除をする人はたくさんいますが、無報酬で継続的に行うことが大切です。
私はイエローハットの代表から退いた後、NPO法人「日本を美しくする会」の相談役に就任しました。この会は、街頭・学校・公共施設などの清掃活動を行い、住民に快適な環境づくりと美しい国づくりの実現を目指す組織です。現在は日本全国に127の組織があり、台湾、ブラジル、アメリカ、中国などの海外にも拠点があります。今年はルーマニアでも活動をしました。あばら屋から始まった掃除が50年という歳月を経て、世界中に広がっているわけです。
―掃除の効用は何ですか?
鍵山:次に良いことができることです。一度良いことをすると、次々といいことができる。反対に、一度悪いことをすると、次々と悪いことをしてしまいます。ユダヤの格言に「ゼロからイチへの距離は、イチから千までの距離より遠い」という言葉があります。掃除はゼロの人をイチにするために、非常に有効だと思います。
業態の転換、危機的状況からどうやって這い上がったのか
―掃除の広がり以外に、企業成長の転機はありましたか?
鍵山:いくつもありました。特に顧客の変遷が激しいですね。ガソリンスタンドへの卸売りを創業から4年間続けた後、ガソリンスタンド巡回業者に対する卸売りへと方向を転換。8年目の1969年には、当時急成長していたショッピングセンターへの卸売りを始めました。そして、15年目の1976年。最大の転機が訪れます。ショッピングセンターの卸売りから撤退し、小売りを始めたのです。直営のカー用品店「イエローハット」を開設し、ドライバーの方々への直接販売を始めました。
―なぜ業態を転換し、直営店を立ち上げたのですか。
鍵山:取引企業の経営姿勢に共感できなかったからです。残念ながら、大手小売企業からは温かい人間性を一切感じられませんでした。その会社は優越的な地位に乗じて、取引条件の変更を一方的に宣告してきました。「条件変更に応じなければ、取引を停止する」と脅してきたのです。こういう人たちと商売をやるものじゃないと感じ、取引をやめました。当時、ショッピングセンターとの取引は総売上の6割を占めていましたが、私の一存で決断しました。
―6割もの売上がなくなると、会社が傾きますよね?
鍵山:ええ。実際に傾きました。まわりの会社に「あそこは潰れる」という評判を立てられ、多くのメーカーから商品を仕入れられなくなったんです。銀行にお金が返せなくなり、あっという間に借金が膨らみました。
―そんな危機的状況から、どうやって這い上がったのですか。
鍵山:起死回生の手段などはありません。残りの4割のお客さまに対して、支払いを早くしてもらえるよう、お願いをしてまわりました。寝食を惜しんで東奔西走しましたよ。
通常であれば、請求を月末に締めて翌月末に集金にうかがいます。しかし、その時は「翌月の3日までに手形をください」なんて、無理なお願いをしました。それくらい追い詰められた状態だったのです。ただし、社員には様子を悟られないようにしました。
―なぜ社員には秘密にしたのですか。
鍵山:うちにメーカーさんが来る時、「お金を払えますか?」と聞かれるからです。私は堂々と「払えなかったら買いません。払えるから買っているんです」と答え続けました。まわりの社員も動揺した様子はない。すると、メーカーさんも納得して売ってくれる。もし社員が自社の危機を知っていたら、その動揺がメーカーさんへと伝わり、商品を仕入れられなかったでしょう。すると、本当に倒産してしまいます。いま振り返ると、取引停止の決断は正しかったと確信しています。この50年間で、当時の問屋さんはみんな潰れましたから。
―最後に、鍵山さんの考える「経営者に必要な資質」を教えてください。
鍵山:強烈な忍耐心です。他にもいろいろあるとは思いますが、私の場合は忍耐心が土台になっています。不安で眠れない夜も数多くありましたが、耐えながら乗り越えてきました。苦しいこと、嫌なことは経営者がすべて引き受けるべきです。そして、もうひとつが❝凡事徹底❞。平凡なことを一つひとつ大事にする姿勢です。誰もが特別なことをしたがりますが、世の中に特別なことなんてありません。ないものを探しているうちに、一生が終わってしまいます。でも平凡なことなら、いくらでもある。その一つひとつを大切にしていけば、やがて大きな力になります。多くの同業他社さんは特別なことを追い求めました。一方、うちは平凡な掃除を大事にしました。まわりから何を言われても、徹底的にやり続けました。その結果として、人間性を無視した経営手法に走ることなく、会社を発展させることができたと思っています。