1年おきに仕事を変えた起業前夜
――起業するまでの経緯を教えてください。
初めて起業を意識したのは19歳のときです。学生時代はバイト中心の生活で、いろんなバイトをやったし、たくさん働きました。そこでお金を稼ぐ楽しさを知ると同時に、あることにも気づき、起業を意識するようになったんです。
それは寿司屋で配達のバイトもやっていたときのことです。バイトって時給制じゃないですか。1時間750円の時給だとして、200時間働けば月に15万円稼ぐことができます。倍の30万円稼ぐためには400時間働けばいい。でも、1ヵ月で400時間働くのは現実的に無理ですよね。
時間という壁を乗り越えるような働き方をしなければ、もっといっぱい稼ぐことはできない。そのためには起業をして経営者になるか、弁護士などの士業で独立するしかない。そう思いました。
実家が不動産業を営んでいたので、どこかの会社に入って社員になるイメージは子どもの時からもっていませんでした。それも多少は影響しているのかもしれません。ともかく、19歳のときに起業したいと考え、「26歳くらいまでには会社をもてるだろう」と、なんとなく思っていました。
――起業を実現するため、どんなことをやったんですか。
20代はビジネスの仕組みや仕事の流れを知るため、いろんな経験をしようと考えました。そのため販売や仲介業など、1年おきに仕事を変えました。
そんな生活をしながら、26歳の頃「このあたりで会社をもてるだろう」と思っていましたが、現実は甘くありません。1年おきにいろんな業種の会社で働く経験はしたものの、自分はなにで起業すべきか、一向に見えてこなかった。それに、26歳にして無職。履歴書を送っても送ってもお断りということが続き、内心、あせっていました。
ただ、そんな時でも家で法律や経営の本を読んでいましたね。起業後に必要な知識はその頃にたくさん勉強しました。
起業につながったのは、4社目にお世話になった家具の輸入商社での仕事。家具は大きいので、自社では在庫を抱えずに小売店から注文が入った時点で生産者から送ってもらいます。「だったらインターネットを使ってお客さまから直接注文を受け、お客さまへ直送すればいいじゃないか」。そんな疑問をもちました。
ちょうどインターネットビジネスが脚光を集め始めた時期。ネットと家具との親和性を強く感じました。在庫を持たないのであれば、インターネット上にホームページをつくって注文を受け、メーカーから直送してもらう。こうしたECビジネスが絶対に成り立つはず。そんな確信をもち、2004年、27歳のときに起業しました。
創業時の資金ショートの悪夢
――起業後は順調だったんですか。
最初の半年くらいは自分の給料は出ませんでした。家具のネット通販はいまほど普及していませんでしたし、取引してくれるメーカーもほとんどいなかったからです。PCや電話にFAX、それとヤル気さえあれば何とかなると思っていましたが、そう簡単にはいきませんでしたね。
創業2年目の2006年くらいには、すごく追い詰められました。メーカーを1社1社訪ね歩いて取引してくれる会社が少しずつ増え、多少、利益が出るようになったんですが、メーカーがネット通販に参入したことで、一気に売上が落ち込んだんです。自分たちの販売価格ではメーカーの直販価格には太刀打ちできず、まったく勝負にならなかった。
その結果、3ヵ月後には資金がショートして倒産しそう―。こんな大ピンチに追い詰められました。本当に毎日が恐怖でしたね。でも、諦めようとは1度も思いませんでした。いろんな角度から撮影した商品の写真をサイトに載せ、丁寧な説明をつけるなど、生活空間のスタイル提案を行い、ネットだけで意思決定ができる情報の提供を行いました。そうした独自戦略に力を入れ、顧客を獲得していきました。
仕入先を増やし、魅力的な商品をそろえるため、海外の取引先も積極的に開拓しました。
――一時期、家具のECビジネスのほかにゲーム事業もやっていましたよね。関連性がないように思える事業の多角化に不安はありませんでしたか。
2010年にスマホゲームに参入しましたが、ゲームの仕組みは家具の通販とほぼ同じなんです。1日に何人がサイトに訪れて、そのうち何%が購入(ダウンロード)して、というように。
まずテスト版として制作費100万円くらいで無料ゲームアプリを開発しました。リリース3日で10万ダウンロードを記録するなど、大きな手応えを感じ、2010年にはシンガポールにゲームの開発拠点をつくりました。
どうせなら世界を相手に勝負したかったし、家具の仕事の関係でシンガポールに行くことが多く、現地の人材のポテンシャルが高いこともわかっていたのでシンガポールに開発拠点をつくりました。それで、シンガポールで優秀な人材を採用し、日本語版のほか中国語版、英語版のソーシャルゲームアプリを開発する体制にしました。
大成功からの一転
――結果はどうだったんですか。
すべり出しは大成功。ヒット作を連発しました。たとえば「Japan Life」という日本をテーマにした町づくゲームはリリース後すぐにiPhoneにおいて中国で800万弱のダウンロードを記録。App Storeのトップグロッシング(売上げランキング1位)となり、香港、台湾、マカオでも1位になりました。
上場を意識しはじめたのもその頃。ゲーム事業に参入する以前から複数のVCさんから出資のお話をいただいていました。
ゲーム業界の競合を見回すと、全部、上場企業。これは上場しないと資本力で負けるなと感じ、上場準備に着手し、VCから10億円を調達してゲーム事業に投資しました。
しかし、結果的に上場前にゲーム事業は売却し、もともとの家具の事業で上場しました。最初のうちはよかったんですけど、ゲーム事業で勝ち続ける、当て続けることが難しくなったからです。
その頃、創業期のピンチに匹敵するようなしんどい思いを味わいました。とにかくぶっ飛んだ業績を出すことしか考えていなかったので、アクセルを踏み込むだけ踏み込んでいました。気がつくとシンガポールのゲーム開発会社の社員のほうが親会社より多くなっていました。
でも、ヒット作が出なくなると、1億円ぐらいの単月赤字が子会社だけで出るようになってしまいました。こうなると10億円を資金調達しても一瞬でなくなってしまいます。夜中に資金ショートする夢を見て、目が覚めたこともありました。
いま振り返ると、創業期とゲーム事業を売却した頃のピンチは、しんどかったですけど、精神的に強くなる経験だったなと思っています。
革新的な新しい流通をつくる
――IPOの動機だったゲーム事業を売却したにもかかわらず上場に踏み切ったのには、どんな考えがあったんですか。
上場準備に入り、社内基盤を整備するため管理部門にプロフェッショナルな人材をたくさん採用しました。後戻りができない状況にしたんです(笑)。
それに、当社の家具の事業はまだまだ伸びます。創業当初のドロップシッピングから在庫リスクを抱えるビジネスモデルに転換し、品質やデザイン性に富んだオリジナルの家具・インテリアや、北欧テイスト家具、家電を開発。さらに新たなビジネスモデルとして越境ECプラットホームの運営にも着手しています。将来の成長に向けて資金需要は旺盛。ですから上場に踏み切りました。
上場した後の信用力、知名度の向上は、事前の想像を上回るものがありました。メンバーのモチベーションも上がりました。ですから、上場してよかった、と思っています。
上場準備をする過程で、権限移譲を進めるなど組織体制を強化したことで、会社としての力も上がりました。クォーターごとに財務を開示しなければいけないので経営の甘さがなくなり、説明責任を果たしながら経営をしていくスタイルにも変化しました。IPOは会社を進化させ、より大きく成長するエンジンになったと思います。
―今後のビジョンを聞かせてください。
ECだけではなく、流通のあり方から変えたいと思っています。インテリアと相性が良いARやVRの導入、自社以外のリアル店舗とも提携した新たな価値やサービスの提供など、もっと革新的に買いやすい新たな流通をつくりあげたいですね。国内の人口減少に備え、海外に顧客基盤をつくることにもチャレンジしたい。こうした分野に集中投資し、世界を舞台に流通を変えていきます。