「再建」がミッション強い覚悟をもって代表就任
―2018年9月期は4期連続の増収増益を予想。売上、利益ともに社長就任以来、最高となりそうです。本格的な成長軌道に乗ったとみていますか。
そうですね。新商品開発や販路拡大の成果が、ここにきて安定して業績に反映されるようになってきましたね。
私が監査役としてコロンバンに入社したのが2004年。代表取締役社長に就任したのが、2年後の2006年でした。当時は、売上高は30億円程度にまで落ち込んでいました。ピーク時の売上が140億円ですから、約25年間にわたって20%程度まで縮小していたわけです。それを穴埋めすべく、不動産などの資産の切り売りで利益を確保。いわば、いびつな「減収増益経営」を長く続けていたんです。
そんななかでの代表就任でしたから、最初から「再建」がミッションであったわけで、強い覚悟をもって代表に就きました。
―実際に果断な経営改革に乗り出しますが、なにから着手したのですか。
まずは、改革すべき項目の整理です。文字通り、山のようにやるべきことがありましたから、それらを洗い出しました。その結果、浮上した改革テーマは商品開発、人材育成など340項目。再建は時間との勝負ですから、複数の重要テーマを同時並行で進めていきました。なかでも大きな課題は、「販路開拓」と「ヒット商品の開発」でした。
―まず、「販路開拓」の内容から聞かせてください。
当時のコロンバンは、売上の85%を百貨店、10%をひとつのテーマパークに依存していました。安定した販売体制は、経営者としてはラクなんですが、折しも、百貨店は構造不況のまっただ中で業績がピーク時の40%も減少。そこに深く依存しているわけですから、当社の売上が落ちるのも当然です。そこで、コンビニや量販店、駅ナカなどの積極的な販路開拓に乗り出しました。
その一方で、テーマパークとは取引を解消しました。優良な販売先だったのですが、当社の製造工程で発生した「異物混入」の対応策をめぐり、食品安全管理に対する考え方が当社とは相容れないことが判明したからです。状況が刻々と変わる時代に、一業種一社への依存が企業の選択肢を狭め、リスクを高めるということを社員が実感したことは、改革を前進させる一助になったかもしれませんね。
店頭に立ち自ら販売 商売の基本に気づかされた
―「商品開発」では、どのような取り組みをしたのですか。
販売実績や市場調査を詳細に分析し、徹底したマーケティングを実施。また、新規の設備投資を行う余裕がないので、「既存の設備で製造できるもの」という制約のなかで新商品を開発しました。そのなかで知恵をしぼって考案したのが『東京サクサクチョコ』。当時、東京駅内にあった基幹店で、私自身が最前線に立って必死で売りました。
―小澤さん自身が店頭に立って販売したのですか。
ええ。決して失敗できないプロジェクトでしたから。長期低迷のなか、販売スタッフも自信を失っていたのは私の目からもわかりました。たとえば、当社の看板商品に『フールセック』という焼き菓子があります。この売上が年間4400万円。もはや絶滅危惧種のような存在でした。看板商品が売れないのですから、スタッフが自信をなくすのも当然です。ならば、私自身が「売れる」という現実を示すしかない。毎日店頭に立ち、必死に商品の魅力を顧客に訴えました。その結果、数日で予定数を完売。この経験は、社員たちの大きな自信になったばかりか、私自身も顧客に向き合う「商売の基本」に気づかされた貴重な経験となりました。
成功体験は社員の意識を大きく変える
―このヒット商品の開発が、「復活」の第一歩になったわけですね。
ええ。そこからは、自信を取り戻した販売・開発スタッフが大いに奮起してくれました。成功体験というものは、社員の意識を大きく変えるものです。その成果のひとつとして、先ほどの『フールセック』もその後、大きく生まれ変わることになりました。社員の発案で、東京大学のノベルティ商品としてオリジナルパッケージを開発し、学内で販売したんです。これが大ヒット。評判が伝わり、ほかの大学や企業からも多くの要望をいただき、これが当社の「勝利の方程式」といえる事業モデルに成長してくれました。『フールセック』の売上はいま、年間6億円。かつての13倍にまで伸びています。まさに、看板商品の面目躍如ですね。
―小澤さんは、この成功で得た資金を社員には還元しなかったと聞きます。
ええ。最初に手をつけるべきは、製造部門の立て直しという認識がありましたから、新工場建設に回したんです。当時の年商とほぼ同じ30億円を投じました。組合や銀行とは多少もめましたし、私自身も社員のがんばりに報いられない辛さがありました。しかし、運命共同体である会社にはいま、「新工場がどうしても必要なんだ」と誠心誠意説き、組合とは経営状況をガラス張りにし、ひざを突き合わせて議論を重ねました。その結果、社員の同意を得ることができ、2013年に最新鋭の工場を竣工できました。当時の社員らには恨まれたかもしれませんが、この新工場建設がその後の成長をもたらしたと確信しています。
彼を知り己を知れば百戦殆からず
―歴史を重ねた老舗企業の事業承継は、特別な難しさがあると思います。
そうですね。「奇抜なアイデアや手法がとれない」という制約が手足を縛る難しさはあるでしょうね。しかし、一方で老舗企業には、それまでの歴史で培った技術や商品、信用といった財産があります。大事なのは、経営者が自分の会社をだれよりも深く理解しているかどうか。私は銀行出身で、菓子業界からみれば部外者。なにも知らないからこそ、会社や業界のことを必死で知ろうとしました。
―事業承継に直面し、頭を悩ませる経営者にメッセージをお願いします。
どんな会社も存続している以上、それぞれの強みがあるもの。商品にはそれぞれに歴史があり、それを支えてきたファンがいるもの。創業者は、自身がイチから立ち上げた会社ですから、そこはよく理解している。後継者には、創業者に負けない自社理解が求められます。まさに、孫子がいうところの、彼を知り己を知れば百戦殆からず。私は銀行員時代から、多くの会社を見てきましたが、己を知っている経営者は強いものです。そして、自身の後継者を育てることも経営者の重要な責務です。私自身、次の事業承継をすでに経営課題に置いています。