「これを使ってほしい」と弟が差し出した2000万円
―昭和8年の創業以来、80年以上にわたって継続している秘訣はどこにあるのでしょう。
既存の業態にとらわれず、変革に取り組んできたことです。
最初の変革は、二代目への承継のとき。創業者である祖父が広島県三原市で始めた和菓子店を父が受け継ぐにあたり、洋菓子もあつかい始めたのです。時代は高度成長期。生活の洋風化のニーズを先取りしたわけです。
次の変革は、三代目である私が承継したとき。平成3年に新しくパン屋をオープン。朝早くから店を開けたことで人気を集めました。まだバブル経済のなごりがあり、朝帰りや早朝出勤をする人が多かったからです。しかも、当時はまだコンビニが三原まで進出していない。つくるそばからパンが売れ、10年足らずで一帯に13店を出すまでに拡大したんです。
ところが景気が悪くなって客足が減ったうえに、コンビニがどんどんできてしまった。次々と店舗が赤字になり、弁護士から「これにハンを」と民事再生手続きの書類を渡されるまでに追い込まれてしまったんです。
―そんな苦境から、どうやって事業を立て直したのですか。
経営者としての自分の未熟さを自覚できたことで、状況を変えられたのです。きっかけは、弟からの申し出。「貯金が2000万円ある。使ってくれ」と。それが彼の全財産であることぐらいわかります。涙が止まりませんでした。
このとき、はじめて父の偉大さに気づいた。私はそれまで、どこかで父を見下げていたんです。父は菓子職人として、自分でつくらなければ気がすまないタイプ。だから店を増やさなかった。それに対し私は13店も出した。「オレのほうが経営者として上だ」。そうカン違いしていたんです。
けれど、父はこんなに立派な弟を育てた。それに比べ、自分はなんと器の小さな人間か。それを痛感し、心を入れ替えることができました。そして他人の意見を受け入れるようになりました。それによって、新業態への転換のヒントを得たのです。
スタンダード×スタンダード シュンペーター理論を実行
―3度目の変革ですね。どう変わったのでしょう。
小売から卸売へと。地元のスーパーの方の「天然酵母の袋詰めパンがあったらいいのに」という言葉がきっかけでした。以前の私なら聞き流していたでしょう。でも、自己の未熟さを自覚していたから、小さなつぶやきもヒントにできました。
スーパーには大手メーカーの袋詰めパンしかない。そこで天然酵母の袋詰めパンを製造し、卸売を始めました。それが当たり、3年くらいで業績が回復。弟からの借金も完済できました。
しかし、ほかのパン屋も同じことを始めた。売上が伸び悩むようになり、「次の一手を打たなければ」と思ったのです。
―それが4度目の変革につながるわけですね。
はい。「それまで100種類ぐらいあった商品を1点にしぼる」という大変革です。経営危機を克服してから、私は経営者として成長しようと猛勉強しました。そこで学んだ、ドラッカーの「選択と集中」理論に従おうと。では、その1点はなににしようか。そのとき従ったのが「❝あるもの❞と❝あるもの❞が結びついたとき、イノベーションが生まれる。その❝あるもの❞とは、どちらもスタンダードなものである」。イノベーション理論の大家、シュンペーターの言葉です。
これにもとづいて必死に思案した結果、パンのなかでもスタンダードなクリームパンと、食感としてスタンダードな「口どけのよさ」という2つを結びつけることにたどりついたわけです。
社員は「社長がおかしくなった」それでも貫いた変革への信念
―それがケーキのような❝スイーツパン❞という新分野を開拓する大ヒット商品の開発につながったわけですね。しかし、100種類もあった商品を1点にしぼるのに周囲の反対はなかったのですか。
いやもう、みんな大反対ですよ。社員たちは「社長がおかしくなった」と。取引先もカンカン。それまで「ウチのパンを置いてください」と営業していたのに、「商品を引き上げます」ですから。大口の取引先から「二度とおたくとは取引しないよ」と宣告されました。
―以前の経営危機のときは他人の言葉を素直に受け入れることで克服。今度は他人の忠告を聞き入れない。正反対のように見えます。
ええ。危機を克服した後、経営者として成長できたからでしょう。「このままじゃまずい。なにか手を打たなければ」という、経営者としての使命感に突き動かされていたんですね。
―国内で大ヒットした『くりーむパン』をひっさげ、韓国・台湾・フィリピンに進出しています。今後のビジョンを聞かせてください。
今年中にシンガポールに店舗をオープン。食文化が日本に近いアジアから攻略し、ゆくゆくはスイーツの本場である欧米に進出したい。そのためにいま、5度目の変革として、パン屋と工房を一体化させ、パンづくりが気軽に体験できる「食のテーマパーク」という新業態に挑戦中です。この業態でパリに店を出したいですね。