経営者としてもっと成長したいという強い想い
―2013年にEarth Technology株式会社を創業して、2020年の4月にバイアウト(会社売却)しました。バイアウトに至った理由や経緯は何だったのですか?
最初にEarth Technologyを立ち上げて以来、私はあまり他の会社の経営者と交流せず、あくまでも独自路線を進めばいい…という気持ちがあったんです。だから自分の経営者としての現在地がどこにあるのか、分かっていないような状況でした。
でも一方で、自分が経営者としてもっと成長したいという気持ちはすごく強く持っていたんですね。そしてあるとき、気鋭の経営者たちが集う、あるグループに入ってみた。そこで、世の中にはものすごい経営者がたくさんいるということを痛感させられたのです。
当時のEarth Technologyは前年比140%や150%の成長率で飛躍していたのですが、それを超える企業の経営者の人たちがズラリと並んでいました。
どうしたらあんなふうに会社の成長スピードを上げられるのかという素朴な疑問と、一方で、自分はこのままの成長率を1人で挙げていくのは正直きついな…という思いも芽生えてきて、経営者としての自身の壁というものを感じていたのです。
そこで芽生えてきたのが、バイアウトによっていったん自分をリセットしたほうが良いのでは?…という思いでした。
―どのような点で、経営者としてまだまだ足らないと感じたのですか?
たとえば、経営がいつのまにかワンマンになっていたことも、仲間を信頼し切れない自分の弱さの表れだったように思います。その結果、なかなか幹部が育たない…というジレンマを勝手に感じていた。結局は自分に原因があるのに、それを自覚できない経営者としての未熟さがあったんですね。
だから、仲間を信じて、企業をもっと組織として強くできるような経営者になりたい。そのためにも一度リセットして、自分の経営者としての成長をもう一度作り直すことを目指したいと思うようになりました。
会社を売却して、自分以外の誰かに経営を任せるという新しいプロセスを歩むことで、自分も会社も次のステージに進めるのではないか? そう考えるようなったのです。
売却後3か月間は、脱力感で何もできなかった
―そして、投資ファンドに持ち株を売却。創業以来一緒にやってきた役員の能代達也氏に、社長をバトンタッチしたわけですね。
事業会社も含めてたくさんの会社が興味をもってくれたのですが、最終的に投資ファンドのCLSAキャピタルパートナーズジャパンさんに託すことに決めました。
同社に決めた理由として大きかったのは、担当者の方が非常に信頼できる人であったことです。ファンドとしてのこれまでの支援の実績や考え方を聞いて、当社の成長曲線の角度をいっそう上げてくれると感じましたし、新たなイノベーションによって従業員のモチベーションも間違いなく向上していく確信が持てましたから。
能代とは創業以来ずっと一緒にやってきて、売却の話はもちろんしていました。ただ私自身、実は直前まで売却を最終決断できず、代表を退いていいものかどうかの葛藤もあって悩んでいたんですね。そんなとき、彼から長文のLINEをもらったんです。「自分が社長になって会社を守り、育てていく決意がある」という内容の文章でした。
Earth Technologyはここまで成長してきましたし、この先もきっと大丈夫。能代がそこまで覚悟をもってくれているのだったら、彼なら絶対にやっていけるだろうし、「では、売ろう」と最終的に決断できたんです。
―ある意味、谷川さんご自身の想いによって会社を離れようと思ったわけで、自分が退いたあとの経営の心配はなかったのですか。
それはありませんでした。僕は経営しているときから、理想とする組織を目標に掲げてきました。それは、私も含めて、社員の誰が辞めたとしても崩れない、強固な組織であること。
よく冗談で、「誰でも辞めてもいいから」などと言っていましたが、僕は経営や事業が属人化していくことが嫌で、誰がやっても組織が変わらない仕組みや制度、教育に注力していきたいと考えていたんです。
その結果、Earth Technologyの社員はみんな優秀で、平均点が非常に高いチームに育ったという自負がありましたから。自分がいなくても絶対に大丈夫、という確信がありましたね。
―そしてM&Aが成立したのが、2020年4月ですね。バイアウトして実質的に会社を離れたときの心境はどういうものでしたか?
売却して3カ月間くらい、ほぼ何もしませんでした(笑) 時間ができたらゆっくり海外を見て回りたい…とも思っていたのですが、コロナ禍でそれも叶わない。一種の燃え尽き症候群というか、何もやる気が起きないし、出かけるとしたら近所の散歩くらい。ホントに暗かったですね。
嫁にも、「…ほんと暗いね。うつじゃないの?」と心配される始末で。だからいま、FIREなんて生き方がもてはやされていますけど、あんな早期リタイアなんて、僕にとってはまったく不要でしたね(笑)
そんな脱力期間を過ごしたあと、動き出したのが1年後くらいでしょうか。新たな会社の立ち上げ準備に入り、2021年6月に株式会社ラストデータを設立したんです。
「オレがいるのはここじゃない」と北海道から上京
―話は変わりますが、谷川さんのご出身はどちらですか?
もともと北海道の苫小牧の出身です。母親が離婚したあと1人で育ててくれて、どちらかというと貧乏な家でしたね。母親はいつも懸命に働いてくれていて、見ていると仕事もつらそうだったんです。
中学2年生のとき、修学旅行でニセコに行ったのですが、ラフティングを体験する機会があって、その会社のスタッフの人たちを見て驚いたんです。みんな、本当に楽しそうに働いている。同じ働くのでも、自分の親とはまったく違っていて、こんなふうに楽しく働くことができるのか…と強い印象を受けました。
そのとき、こんな会社で仕事をしたい、また、自分でこういう会社を作ってみたい、と漠然と思ったんです。自分の中に「起業したい」という想いが初めて芽生えた…という記憶がありますね。
―その後、就職したのは地元の会社ですか?
はい。地元の農機具メーカーで、農家に関する様々な機器の施工や販売、メンテナンスを請け負う会社でした。実は、母親の弟が経営している会社で、高校を出てふらふらしている私を見て、「だったらうちに来い」と言ってもらって入社したんです。
その会社には2年くらいいたのですが、次第に、東京に行って仕事をしたい…という想いが募っていったんですね。人口約2万4,000人の中標津という小さなまちから見ると、東京はやっぱり憧れでしたから。でも具体的に何かをしたいというわけじゃなくて、「とにかくオレがいるのはここじゃない」と、根拠もなくただ漠然と思うだけのイタいヤツでした(笑)
そして社長にそのことを言うと、「俺も昔、東京に行って自分のやりたいことをした過去がある。お前が何かやりたいのか分からないが、東京行ってやりたいことあるならとにかくやってこい。そして、もしやりたいことがダメだったら戻ってくればいい、またその時は雇ってやる」と背中を押してくれたのです。――その3日後、数万円を持って、何のあてもなく、東京に出て行きました。
「英語×IT」のビジネスモデルに特化してV字回復
―思い立ったら即行動ですね。そしてITの会社でエンジニアを目指すことに?
東京で起業を目指すにも、ITの一つも分からないと駄目だと思って、それでシステム関連の会社に入りました。システム開発やエンジニアの派遣などを行う会社です。
ただ、エンジニア志望で入ったのですが、そのときの上司から、「君は営業のほうが向いている」と言われ、営業部に配属になりました。すると間もなく、リーマン・ショックが起こったのです。
2008年当時ですが、懸命に営業を頑張っていたものの、どの会社も自分のところの従業員や経営を守ることに一生懸命で、営業をかけても成果が上がるような状況ではありませんでした。
でもその中で、某大手電機機器メーカーの海外事業部からの受注だけが、以前と変わらず盛り上がっていたんです。ほかの会社からはまったく受注が取れないのに、同社からはひっきりなしに仕事があるわけです。
それを担当していたのが、英語を話せるエンジニアを擁する、当社の小さなグローバルチームでした。バイリンガルのエンジニアを前面に出すことで、どんどん受注が決まる。――なるほど、これはチャンスだ!と思ったのです。
当時、リーマン・ショックによる業績低迷で、上司だった社員の多くが辞めていたことから、私が全統括の立場で事業を任されることになりました。それで、自分の思うことをどんどんやっていこうと考えたのです。
―どのようにしていったのですか?
海外事業部の案件に注力して、部門の拡大を図っていこうと考えました。つまりは「英語×IT」のビジネスモデルに特化して事業を進めていくということです。
そこに軸を置くなかで、事業すべてのサービスや営業戦略を変えていく。その結果、売上を飛躍的に伸ばすことができ、リーマン・ショック以前の業績を超えるまでにV字回復したのです。
事業戦略から営業戦略、サービス、ブランディングを含め、すべての事業を自分で手掛けていき、右肩上がりの業績を残すことができたのは、自分にとっての大きな自信につながりました。
ゆくゆくは起業することを考えていたことから、このあたりで「自分でやってみよう」と考えて、その会社を離れることにしました。
そして、2013年1月にEarth Technologyを創業。自分が実践してきた事業である「英語×IT」のビジネスを軸に、サービスを開始したのです。
―その後、Earth Technologyにおいて、事業として意識していったことは何でしょうか?
同社の場合、IT未経験者の語学人材を採用してエンジニアとして育て、お客様先に配属するというビジネスモデルでしたので、教育には徹底的に重点を置きました。
主には英語を話せる外国人にエンジニア教育を施していくことが中心で、持続的な成長を図るために、IT関連の教育研修に注力したわけです。
また私自身、もともとITの未経験者でしたが、「誰もがITには一度は関わったほうがいい」という考えでした。
関わってみた結果、自分がfitすればその道に進めばいいし、違うと感じれば、異なる分野で力を発揮していけばいい。ただ、誰しも一度はITに関わってみるべき。だから、ITをやりたい人にはもちろんチャンスを与えるし、そうでない人にも別の成長機会が得られる会社にしたい……そう思っていましたね。
Earth Technologyの場合、ビジネスの絞り込みが良かったのでしょう。起業したときからずっと業績は右肩上がりで推移しました。ただ、IPOなどは目指していなかったんです。
最初に話したように、「経営者として自分はたいしたことない」ってずっと思っていて。人として成長できなければ上には行けない。自分が経営者として、もっと成長していきたい――その想いのほうが本当に強かった。それで冒頭に話したように、自分をいったんリセットして次のステージに進むために、バイアウトの選択をしたということなんですよ。
若手の起業家みんなに億万長者を目指してもらいたい
―そして今、株式会社ラストデータの代表取締役として新たなスタートを切っています。バイアウト後のチャレンジの中身について教えてください。
2021年6月に立ち上げた株式会社ラストデータは、ITスクールとデータ分析の受託事業、人材紹介の3つの事業の柱で成り立っています。
ITスクール事業は、日本人のITリテラシーを上げることを目的に、「ITに一度は関わるべき」という従来の自分の考えを具現化したもので、ITとの関わりを全国民に広げていきたいというビジネスです。
社会人でも大学生のようにITを無料で学んでもらえるような機会をつくるもので、同時に彼らのIT関連の転職機会を促すための人材紹介ビジネスも付随させます。
このラストデータという会社には、ある想いがベースになって息づいています。
私自身、起業して人生そのものが変わったという想いがあることから、それを多くの若者にも感じてほしい。同じような想いを抱いてくれる若手起業家を育てたい――という考えがあるのです。
具体的には、今後の3年間で30社ほどの会社を新たに創ること。起業して1年目で1億の売上と2,000万円の利益を出すという事業モデルを私が提供するので、志をもつ若手の起業家みんなに億万長者を目指してもらいたい。そうした心が満たされれば、きっと世の中や周りに優しくできるはず。そんな人づくりを目指したいと考えています。
世の中を幸せにしていくための、若手起業家の登竜門となる事業を新たにスタートしていくことが、ラストデータの本当の目的なのです。
―谷川さん自身の、そうしたビジネスへの原動力はどんなところにあるのですか?
シンプルに、負けず嫌いなのかもしれませんね(笑) 自分が世の中に対して、貢献や影響をいかに与えられるかを試したい。世の中に何かのインパクトを与えるために、自分は何ができるか。それを証明していくプロセスに、自分自身が負けたくない、という感じでしょうか。
それに、あの人口2万4千人という小さな中標津町から出てきたことも、負けたくないという思いにつながっている一つかも知れません。誰にも負けたくないから、人一倍の努力をしなければいけないと思うし、僕自身、決して才能にあふれているタイプではないと思っているので、そんな自分でも成功できることを周囲に示していきたいとも思うんです。
そして、自分に関わるすべての人たちに、仕事の楽しさと、誰でもリアルに人生を豊かにできることを知ってほしい。そんな想いが強いですね。
―これからの事業の方向性についてはどう考えていますか。
たとえばこれからの時代は、もはやテレビ局のような大きなメディアではなく、YouTubeが世の中の中心になっていきます。チャンネルの数や種類がまさに多様性を表す世の中であって、これは企業も同じだろうと思うのです。
大企業が勝っていく世の中ではなくて、様々な小さなコアな企業があふれる時代。つまり、誰か1人が大きな会社を運営するモデルではなく、YouTubeのように多くの人がたくさん起業して、他の様々なコアなユーザーといろんな形でリンクしていく時代であるわけです。
だからこそ、多くの若手起業家が様々なイノベーションを起こし、世の中に多様な価値を提供することが求められます。それをホールディングス化して、世の中に対する大きな影響力を有していけると面白い。そして、今の大企業を中心とした世の中のモデルを変えていきたいという思いがあります。
遠くない将来、大手企業を飲み込んでいけるような小さな企業のグループを、これからみんなで創っていきたい。今からすでにワクワクしていますよ。