IPOよりバイアウトに魅力を感じた
―西原さんは過去に2度会社をバイアウト(会社売却)されました。最初にバイアウトした会社ではどんな事業をしてたんですか?
2008年にネットビジネスで起業して『イエイ』という不動産売却のポータルサイトを運営してました。土地や家を売りたい不動産オーナーが、あらゆる不動産会社から査定価格を一括請求できるサービスです。この会社は2016年にバイアウトしました。
―バイアウトするまでの経緯を教えてください。
起業した時は28歳と若かったのでお金を稼ぐことしか考えてませんでした。友人たちには「会社の利益が月500万出たら仕事をやめる」と公言し、とにかく働きまくってましたね。しかし月500万を超えてもどんどん利益を求め仕事をやめていない自分がいることに気づいた。自分はいつ満足するんだろうと。するとまた運良く時流に乗って売上が伸びたんです。
IPOも視野に入ったので先輩経営者たちに「IPOって、ぶっちゃけどうですか」と聞いて回りました。でも話を聞くと、IPOって僕にとってはそんなにメリットないなって思ったんです。ちょうどその時、ある先輩経営者がバイアウトという方法があると教えてくれました。当時の僕には会社を売るという発想がなかったので、「へぇ〜そんな方法があるんだ。でも俺の会社なんて売れるのかな?」という気持ちでしたね。
すぐにM&A会社に相談すると、ある上場企業から会社を買いたいとオファーが来ました。提示された買収価格は数十億円。会社ってこんなに高く売れるんだと驚きましたね。交渉もトントン拍子で進んであっという間に最終合意の寸前までいきました。
しかし、最後の最後になって急に値下げを要求されたんです。僕はその会社の役員の方を人間的にも好きになって信頼してましたし、なんか最後に裏切られた気がしてしまった。もちろん値下げ後も大きな買収価格であることは変わりません。でも僕にとっては手塩にかけて育てた自分の子供のような会社が、ちゃんと評価してもらえていない気がしてショックだった。
結局その上場企業には売らないと突っぱね、また他の買い手探しを始めました。そして数週間後に別の会社が見つかり、前回より数億円高い買収価格が提示されたのでそこにバイアウトしたんです。
出会って3ヵ月でバイアウト
―2度目のバイアウトはどういう経緯だったんですか?
2度目にバイアウトした会社では『外壁塗装の窓口』というポータルサイトを運営してました。『イエイ』とほぼ同じビジネスモデルで、リフォームなど外壁塗装をする際にあらゆる施工会社から見積りを一括請求できるサービスです。この会社は2020年7月にバイアウトしましたね。
買い手はIT業界の上場企業で、その会社の社長は業界知識も豊富だったので直接トップ同士で話し合って合意しました。大概の買い手候補はみんな事業の話をしないんですよ。それよりも財務諸表やエクセルに書かれた数字ばかり聞いてくる。
だけどその社長は事業について的を得た質問をガンガンしてくるんです。事業畑の僕としてはそれが心地よかった。デューデリジェンス(※企業価値やリスクを調査すること)する手間も省け、格段に早く話が進みましたね。お会いして3ヵ月後にはバイアウトが成約したほどでしたから。
―事業に対する理解があったからこそのスピーディーなバイアウトだったんですね。
実をいうと僕は事業を良くすることしか考えてない人間で財務諸表もそんなにしっかり読めないんですよ。毎月ちゃんと利益がでてればOKみたいなどんぶり勘定で。あと経理も外注でしたし。ある時、「経理ってなにする部署なんですか?」って先輩経営者に質問して笑われた。その時はもう設立して10年目だったんですけどね(笑)。だからバイアウトした会社の社長が事業について理解のある方で本当に助かりました。
大半の経営者は会社をバイアウトすべき
―どちらの事業も伸びていたのに、どうして事業継続ではなくバイアウトを選択されたんですか?
経営者としての自分自身のタイプを見定めてバイアウトを選んだんです。僕は経営者には大きく3つのタイプがあると考えています。
まず1つ目のタイプはビジョナリーで成長意欲が高い経営者。特徴としてはIPOがゴールではなくてIPO後の成長戦略まで明確に描いている。高い目標を掲げてそれに向けてちゃんとフルコミットしている。このタイプの経営者は肌感覚で全体の1割~2割程度じゃないでしょうか。
そして2つ目のタイプはIPOがゴールの経営者。IPOを目指していて、それを周囲にも公言している。でもIPOすること自体がゴールになってしまっていてIPO後のことは何も考えていない。このタイプの経営者も意外と多いですね。
そして3つ目のタイプは、ただ会社に居座っているだけの経営者(笑)。誤解を恐れず言うと、実は会社を辞めてのんびり暮らしたいけどみんなから社長社長とチヤホヤされることが気持ち良くて辞められない。場合によってはバイアウトという方法をそもそも知らなかったりもしますね。あと仕事と銘打って会社の交際費でゴルフや会食に明け暮れている。このタイプの経営者が全体の大半だと思いますよ。
もちろんどちらのタイプが良い悪いという話ではありません。僕自身は3つ目のタイプの経営者です(笑)。自分の全てを捧げて会社のためにフルコミットするのは年齢の問題でできなくなってきている。それについつい自分の余暇の時間を大事にしたくなる。そんなタイプです。だから会社を売りました。僕みたいな3つ目のタイプの経営者は、絶対にバイアウトしたほうがいいですね。
僕の考えではIPO後の成長戦略を明確に描いているような1つ目のタイプの経営者以外はバイアウトを選択すべき。もちろん会社を高い値段で売り抜くことは簡単ではありませんが、もし買い手が見つかるならIPOや事業継続よりもバイアウトをおすすめします。
歳を取るほどビジネスの成功確率が下がる
―なぜそういう経営者はバイアウトしたほうがいいんですか?
全員がハッピーになるからです。バイアウトすれば創業者も嬉しい。社員も嬉しい。買い手も嬉しい。三方良しなんです。しかし経営者がエゴや私利私欲によって会社に留まってしまっては会社の成長を停滞させかねない。
人は歳を取ると体力が衰えますよね。特に中小ベンチャー企業は「会社=経営者」なので経営者が衰えると会社の成長は停滞します。でも会社は常に成長し続けなければなりません。だから経営者は歳を取ったら潔くバイアウトし、自分より若くて優秀な人に経営をバトンタッチすべきだと思うんです。社長が若くないと採用もしづらいですしね。
社員のことを想ってなかなか辞められない気持ちも分かります。でも安心してください。社員はあなたが社長をやるよりも孫さんやスティーブジョブス、イーロン・マスクが社長だった方が喜びますから(笑)。
―西原さんはその辺を冷静に捉えられるのがすごいですよね。おっしゃるように経営者はエゴもあってなかなか経営を離れたがらないケースが多いように思います。
うまくいった人はみんな後付けのように自分の実力で成功したように言いますが、僕は全然違うんです。本当にたまたま時流に乗れたから運良くうまくいっただけ。謙遜ではなくこれが事実です。それが分かっているから冷静に判断できるのかもしれませんね。
僕が起業において意識したことがあるとすれば、上りエスカレーターに乗ることだけです。同じように10努力しても下りエスカレーターに乗っていたらマイナス5になり成果は5しか上がらない。しかし上りエスカレーターならプラス5となり成果は15になるんです。だから上りのエスカレーターになっている産業を選び、そこで事業を行うことだけは意識してましたね。
―バイアウトの時期はいつ頃がいいとお考えですか?
自分以外の人が経営したほうがこの会社を伸ばせると思った時ですね。つまりちょっとでも自分の力が落ちたと感じた時。たとえばスポーツの世界でも、周りがこの人まだまだ現役でイケると思っていても選手自身が「俺はもうだめだ」、「判断スピードが0.1秒遅くなった」みたいに感じる時ってあるじゃないですか。それでもう引退しちゃうみたいな(笑)。そういう感覚を持った時ですね。
僕は28歳で起業して毎日がむしゃらに働いたので自分の限界を知れたんです。そして35歳になった時こう考えました。もし起業した28歳の自分と今の自分を比べたら、どっちがビジネスの成功確率が高いだろうと。明らかに成功確率が高いのは28歳の自分なんですね。
35歳の今の自分は家族もいて仕事に100%の時間を避けない。体力も徐々に落ちて来ている。28歳の僕のような若者なんて周りにうじゃうじゃいる。そうやって冷静に考えると、歳を取るごとにビジネスの勝率は下がるなと思ったんです。自分はスーパーマンではないですからね(笑)。
2度目のバイアウト後から財布の紐が固くなった?!
―バイアウトして大金が入り、金銭感覚は変わりましたか?
よく聞かれる質問ですが特に変わったことはないですね。会社経営をしている時からタワーマンションに住んでたり、比較的いい暮らしはしていましたから。
そういう意味では、あらかじめお金の使い方を予習できていた。宝くじで急に大金を手に入れ、金銭感覚が狂って人生がおかしくなる人っていますよね。僕はそんなことはなくバイアウト後も変わらず平常運転できてましたね。ただ強いてあげるなら2度目のバイアウト以降は少し財布の紐が固くなったんです。
―2度もバイアウトして大金を得たのに、逆に財布の紐が固くなったんですか?
会社を経営してる時は個人の勘定をPL(損益計算書)思考で考えるんです。つまりその月に出た利益の範囲内であれば、お金を使ってもいいかなという感覚になる。たとえば月1,000万の利益が出ていれば家賃月100万のタワーマンションでも余裕で住めますよね。来月もまた1,000万入る見込みがあるわけですし。
でもバイアウトすると一時的に大金は手に入るものの、会社からの継続的な収入はなくなる。お金を使うほど自分の資産が減る一方になるんです。だから人間心理で、いつか資産がなくなるんじゃないかと不安になる。これは資産をいかに残すかというBS(貸借対照表)思考の考え方になります。個人的にはBS思考の時よりも、会社経営をしていたPL思考の時のほうがお金は使いやすかったですね。
そもそも僕は普段からあまりお金を使わないタイプなんです。高級寿司より立ち食い寿司、高級料亭より立ち飲み屋、運転手をつけるより自分で運転、高級ブランド品より安くて機能性に優れた商品を選ぶ。もともと物欲がなくて高級品に興味がないんですよ。僕が興味あるのはゴルフと納豆と海外旅行くらいですね(笑)。
―投資や資産運用はしてないんですか?
僕は「足るを知る」という言葉が好きなんです。その言葉通りお金はもう十分あるのでリスクをとってまで増やしたいとは思わない。だから投資はしませんね。投資話を持ってくる人は大抵あやしいですし(笑)。資産運用も手堅いものをいくつかやっている程度です。
欲をかいて失敗しなければ今の資産で十分裕福な生活ができます。自分が幸せに生きられるだけのお金があるならそれで満足です。上を見れば金持ちなんて腐るほどいますからそこと比較しても不幸になるだけですよ。今住んでいるシンガポールには桁違いの富裕層がたくさんいます。
経済的に豊かじゃないと幸福な家庭は築けない
―とはいえ西原さんはまだ40歳ですよね。しかも2度バイアウトしてお金も人一倍ある。それなのにどうして、そんなに若くして落ち着いてるんですか?
幼少期の家庭環境が大きく影響してると思います。僕の父は長男の僕にだけすごく厳しかったんです。いつも父の顔色を伺ってたのでオドオドしている神経質な子供でした。父は地元でも有名なパチンコ屋を経営していて、我が家は裕福な家庭でした。でも僕が小学生の時に経営が傾き、次第に貧乏生活に転落した。その頃から家族の喧嘩が増えました。そして僕が17歳の時に父が死んでしまったんです。
―それはとてもつらい経験ですね。
裕福な家庭のままなら家族仲良く幸せな時間を過ごせた。でも貧乏になったことで家族仲まで悪くなってしまった。そのせいで父は最後に仲のいい幸せな家族を見ることなく、帰らぬ人になってしまいました。
幼いながらにお金がないと幸せな家庭は築けないという意識が植え付けられました。幸せな家庭を失いたくない。そんなコンプレックスや恐怖心が自分の奥底にはあるんだと思いますね。だからリスクを冒して上を目指すよりも、落ち着いて今の生活を維持したいんだと思います。
オーストラリアの広大な地で心が解き放たれた
―ちなみに学生時代はどんな風に過ごしたんですか?
学生らしく飲み会したり、ひたすら友達と遊んでましたよ(笑)。アルバイトも家庭教師やコンビニのレジ打ち、バーテンダーなど色々やりました。でも、どれも長続きしませんでしたね(笑)。このまま就職してもやっていけるか不安でしたし幼い頃から海外にとても強い興味をもっていたので、就職活動はせず大学を卒業して1年間オーストラリアに行きました。これは僕の人生の大きな転機の一つです。
―オーストラリアで何をしたんですか?
放浪ですね(笑)。オーストラリア南部にあるメルボルンやブリズベン、サーファーズパラダイスなどの街に滞在しました。サッカーボール片手にギターを背負って下駄を履くというヤバい恰好で街を練り歩きましたね(笑)。
とにかくお金がなかったので、よくオープンテラスのレストランをみつけるとハイエナのように客が残した残飯を狙ってました。食事を終えた客に「それ、要らないなら頂戴」って言って、ウェイトレスが片付けに来るまでに食べてましたね(笑)。
―異国の地でハングリーな生活をされたんですね(笑)。
仕事も見つけずに現地に行ったので本当にお金がなかったんです(笑)。オーストラリアで出会った日本人の友人と街でたまたま再会し、あと何ヶ月もオーストラリア滞在期間残っているのに「もう500円しかないよ〜」とか言いいながら笑ってたのがすごく良い思い出です。
現地では手当たり次第に仕事を探しました。そしてある日ふと入ったレストランで皿洗いの仕事を見つけた。僕は皿洗いが異常に早かったので即採用されました。そのへんの汚い紙に「来週いついつに来て」と書かれたメモを渡され、そのレストランに通うことになったんです。いざ働いてみると繁盛店だったこともあり皿の量が半端じゃなかった。休憩で5分だけタバコを吸って帰ってくると、厨房には皿が1m以上も積まれていて本当に大変でしたね(笑)。
またオーストラリアは映画のロケ地になることも多くて日本人エキストラのアルバイトもしました。あれは給料が良かったので本当に助かった。
お金はなかったですが今思うとあの頃は僕の人生の中で一番楽しい1年でした。見るものすべてが別世界で誰の目も気にせず自分の心が解放された気分だった。若い頃に海外に出るのは本当にいい経験になると思いますね。
オーストラリア滞在
ホリエモンの影響で仕事のスイッチが入った
―帰国後は何をしたんですか?
帰国後はふらふらしてたんですが、ある日ホリエモンこと堀江貴文さんのブログを見ました。堀江さんが六本木の高級レストランで優雅に食事する様子を記事にUPしてた。それを見て仕事のスイッチが一気に入ったんです。よし、自分も稼ぐぞって(笑)。
でも就職活動は全くうまくいきませんでした。面接にことごとく落ちて落胆しましたね。すると偶然ライブドアの求人情報が出たんです。すぐさま公募でエントリーしました。そしてなんと面接を突破してライブドアに入社できたんです。
後になって聞いたのですが、変な奴だけどやる気だけはありそうだったから採用してくれたそう(笑)。藁にもすがる思いだったので、その必死さが伝わったのかもしれません。その時ライブドアに入社できていなければ絶対に今の僕はなかった。面接でお世話になった人事や役員の方々には、今でも大変大変感謝していますね。
ライブドアでは営業職に就き、見込み顧客に電話でアポイントを取ってネットサービスの販売をしてましたね。ですが正直な話、一つも売れなかった。そこで僕は営業は向いてないと気づきましたね。
それでも徐々にネットビジネスのやり方を理解して自分で起業したいと思うようになった。そしてライブドアを1年半ほどで退職して28歳で起業したんです。
シンガポールに移住。週8でゴルフ生活
―2019年からシンガポールに移住されたと聞きました。どうしてシンガポールに行かれたんですか?
2017年くらいに海外移住を考え始め、当初はハワイに移住しようとしてました。でもアメリカのビザが取れず、コンドミニアムを買ってしまったのにハワイ移住を断念。
シンガポールには経営者仲間と旅行しに行ったことがあり、その時に良さを知りました。シンガポールはあらゆる面で素晴らしいんです。よく経営者でシンガポールに移住したと言えば、どうせ節税対策だろと言われますよね。僕もそれまではそう思っていたし、それも間違いではありません。節税も移住のひとつの理由になりうるでしょう。
でも節税だけじゃなくシンガポールは政府の動きも早かったり、世界トップレベルの教育機関、暖かい気候、富裕層向けのプライベートバンクなど、本当にたくさんの魅力がある。また治安の良さや街の綺麗さなどは日本と同じくらい素晴らしいですしね。
そう考えると移住しない理由がありませんでした。ちなみにバイアウトの納税はすべて日本で行ったのでシンガポール移住による節税効果はほぼゼロでしたが。
―西原さんはお金も時間も潤沢にあると思いますが、いつも何してるんですか?逆に暇なんじゃないですか?(笑)
正直、暇で時間を持て余すことは多々ありますね。しかもコロナ禍なので今は大好きな海外旅行にも行けない。毎日ゴルフ漬けの生活です。今はもう週8でゴルフですね。
―週7日超えですか(笑)
打ちっぱなしも入れてです(笑)。ラウンドは今ちょっと減って週に4日くらいですね。スティーブジョブスが最後に残した言葉のように家族、趣味、アートなどプライベートを充実させることに全力を注いでいます。何でも面白そうなことはやろうと思っていますね。
余暇をエンジョイ
―ちなみにお子さんの教育はどうお考えですか?
一人娘なので大事に育ててます。僕は頭ごなしに押し付けるより自分の好きなように生きてほしいんです。自分が厳しく育てられたので、その反動かもしれません。それに女の子は愛嬌が一番大事。厳しく育てられると他人に厳しい子に育ってしまう。娘には愛嬌があって笑顔が素敵な女性になってほしいですね。
それと頭はいいに越したことはないのでシンガポールのインターナショナルスクールに入れてますね。そうすると少なくとも英語、中国語、日本語が流暢になる。日本ではそんな友達周りにいませんよね。シンガポールで教育するだけでそういう大人になれるんです。僕が親としてやっているのはそれくらいですかね。
―相続はどうされるんですか?
女の子なので多少は財産を残してあげたいですね。男だったら一銭もやりませんが(笑)。でも実際は自分が死んだ後のことなのであまり考えてないです。
―今後の人生ビジョンがあれば教えてください。
これからもプライベートを充実させていきたいですね。僕はやることよりもやらないことを決めています。たとえばビジネスや投資、ハイリスクな資産運用はやりません。無駄なストレスがかかる人脈も作らない。欲をかいてリスクを冒さず、足るを知る生き方を貫きたいですね。
それと今は早くコロナが落ち着くことを祈っています。海外旅行が趣味なので、また海外にも出掛けたいですし。これからも幸せな人生を歩んでいきたいです。