―和田さんは熱海の八百屋からスタートし、約50年の歳月をかけて年商5,000億円の企業グループをつくりあげました。しかし、1997年にヤオハンジャパンが倒産。ヤオハングループの各社も整理・売却へと追い込まれました。和田さんの成功と失敗について聞かせてください。
和田:もともと私は八百屋の2代目です。若い頃、私はアメリカの流通業に触発され、八百屋をスーパーに変え、静岡県内でチェーン展開を進めました。当事当時の私の夢は、ヤオハンを日本一のスーパーにすること。その夢を叶えるため、ブラジルを皮切りに海外16ヵ国に450店舗を展開、国内外に上場企業9社を設立しました。最盛期には年商5,000億円、従業員1万8,000人の企業グループをつくりました。これが私の成功体験です。しかし、1997年、ヤオハンジャパンは資金繰りに行き詰まり、倒産しました。これが私の大失敗です。私は倒産の責任をとって、全グループの役職を辞職。当事当時は粉飾決算の容疑にもかけられ、どん底の状態でしたね。そして自らの全財産を差し出し、ゼロからの出発を決意しました。
―なぜ年商5,000億円もの企業グループが短期間で倒産へと陥ったのでしょうか?
和田:原因はいくつもあったと思います。そのひとつは、財務のチェック機能と危機管理がおろそかになっていたこと。倒産の直接的原因は海外事業ではなく、国内事業の不振にありました。つまり、海外事業という拡大路線そのものが失敗したわけではなく、拡大によって日本国内の守りを固めきれなくなっていたんです。他にも資金調達や同族経営など、いろいろ原因はありましたよ。でも、すべては慢心したトップが悪かったのです。
―すべてひっくるめて経営者の責任だと。
和田:ええ。財務や人事の問題も結局はトップの責任です。当時、私は「世界のヤオハン」と周りからおだてられ、慢心していました。そして、トップの驕りが役員や社員にも伝染していった。だから危機の予兆をつかんでいたのに、対処が遅れたのです。どの企業も成功が続いているとき時の方が危ない。「すべてがうまくいっている」と勘違いしてしまい、新たな問題に気づかなくなってしまうからです。絶頂期こそ、衰退に向かう危機だということを忘れてはいけません。若い経営者には、私と同じ失敗を決して繰り返して欲しくないと思います。
―これまでに和田さんは、熱海の創業店舗の焼失、ブラジルヤオハンの撤退、ヤオハンジャパンの倒産など、数多くの苦境を経験してきました。なぜ、これらの苦境から何度も復活することができたのですか?
和田:「無一物中無尽蔵」という母の教えを実行したからです。たとえモノが無くなっても、人間には無尽蔵のエネルギーがある。だから、会社が倒産しても、無一文になっても、人間のエネルギーはなくならない。「また復活しよう」と考え、新たなチャレンジをすればいいのです。失敗の検証と反省はすべきですが、くよくよする必要はありません。
―だから、82歳の現在もチャレンジを続けているわけですね。
和田:今でも「これから伸びるだろうな」という事業は感覚でわかります。ただ、私は年齢的に第一線の経営者にはなれません。だから、「カンパニードクター」になろうと思っているんです。「カンパニードクター」とは、企業に処方箋を出すコンサルタントとのこと。自身が経験した成功と失敗をもとに、会社の病気を治療する医師のような存在です。ちなみに、私が「カンパニードクター」になろうと思ったのは、70歳の時。ヤオハンの倒産から2年が経った頃です。そして「カンパニードクター」になるために、10年間勉強しようと決意しました。
―70歳から10年間勉強しようと決意するのはすごいエネルギーですね。
和田:やはり10年ぐらいは苦労して勉強しないと、一人前にはなれませんから。ただ、ひとつ気がかりだったのが、80歳から成功した先人がいるのかどうか。もう、いろんな本をむさぼるように読みましたよ。すると、2人の成功者がみつかりました。ひとりが鄧小平。彼は3回失脚した後、副総理に復活しました。3回目の失脚から復活したとき、彼の年齢は74歳。その後、88歳までの14年間、中国の改革解放政策の陣頭指揮をとりました。つまり、彼は80歳を過ぎてからも大活躍したのです。もうひとりは、松永安左エ門。東京電力の創業者です。太平洋戦争が終わった後、日本には電力事業の民営化と再編成を行う必要が生じました。しかし、電力事業の第一線で活躍していた人たちがみんな戦争で亡くなってしまった。そこで、すでに引退していた79歳の松永安左エ門にお鉢がまわってきたのです。翌年、彼は現在の東京電力を設立。その後、日本全国で電力事業の再編成を成し遂げました。私はこの2人に惚れ込みました。そして過去に成功した人がいるなら、自分もできるはずだと考えたんです。これから10年間勉強したら、世界的な「カンパニードクター」として活躍できるかもしれないと。
―そして現在、国際経営コンサルタントとして日中両国で活動しているわけですね。
和田:ええ。私が若い頃は、松下幸之助さん、井深大さん、本田宗一郎さんから多くのことを学びました。何か壁にぶつかると、彼らの本を読んだり、講演を聴きに行ったりしました。偉大な同世代の経営者から、学ぶ機会があったわけです。でも残念ながら、みなさん他界されてしまった。だから僭越ながら、私が彼らのような役割を担うべきだと考えているんです。どうすれば中国で成功できるのか?大失敗をせずに世界企業をつくれるのか?こういったことを若い人に伝えていきたい。私の経験と若い人のセンスを組み合わせれば、すごい経営者が生まれると確信しています。
―ここからは日本企業の中国進出に関する話を聞きたいと思います。和田さんは1989年にヤオハンインターナショナルを設立し、中国で百貨店などの店舗展開を積極的に進めました。当時は日本企業の中国進出の先駆けでしたが、どのように中国へ進出したのでしょうか。
和田:当時、すでにヤオハングループは世界各国に進出していました。その中でもシンガポールやマレーシアなど、中国系の国が好調だったんです。だから、機が熟せば中国本土にも進出したいと考えていました。そして1989年6月、中国で天安門事件が勃発。私はチャンスと考え、翌年に香港に渡りました。なぜなら、当時ほとんどのマスコミは「天安門事件と同じことが香港にも起こるだろう」と予想していたからです。みなが「リスクがある」と言っている時こそ、チャンスです。ライバルが少ないので、ナンバーワンになれる可能性がありますから。
―その後、香港からどうやって中国に進出したのですか?
和田:最初はおっかないから、香港から中国の動向を見ていました。その間に華僑の友人がたくさんできたんです。彼らは私の先見性を高く評価し、様々なサポートをしてくれました。そして1992年、北京に百貨店を出店。恐る恐る投資したのですが、この店が成功しました。そこで3年後の1995年、上海に大きな百貨店をつくったんです。床面積は約10万平米、当時アジア最大の小売店でした。すると、オープン初日に多くのお客さまが来店してくれました。その数、なんと107万人。これは現在もギネスブックに載っている世界記録です。
―和田さんは1997年に「上海市栄誉市民賞」を受賞した後、中国企業や中国関連プロジェクトの顧問などを数多く務めてきました。中国人の特徴を教えてもらえますか。
和田:私はシンガポールに進出した1973年から現在まで、中国人とビジネスをしてきました。だから、彼らのことはよくわかりますよ。そもそも、中国には何千年という戦乱の歴史があるため、「人は信用できない」という考え方がスタンダードになっています。つまり、「人はごまかすもの」と考えるのが普通なんです。それを日本人は認識していないから、「中国人に騙されて、もうコリゴリだ」なんて思ってしまう。
―そういった国民性の違いを認識した上で、信頼関係を築くべきなのでしょうか。
和田:そうですね。時間をかけて信頼関係を築くしかありません。そのためには、経営者の人間性を磨く必要があります。また、中国人は相手の「行動」で人間性を判断します。ですから、誰かを裏切ったり、約束を守らなかったりするとダメですね。一方、深い信頼関係が生まれると、ビジネスが格段にうまくいくようになります。たとえば「和田さんの言うことは間違いないから、契約書はいりません」なんて、向こうから言ってくれる。私が香港で経営をしていたとき時は口約束が契約になり、経営のスピードが加速しました。
―尖閣諸島の問題など、昨年チャイナリスクが改めてクローズアップされました。経営者はチャイナリスクを恐れる必要はないのでしょうか。
和田:たしかに中国にはリスクがあります。でも私自身の経験で言えば、中国に惚れないとビジネスは成功しません。惚れないと相手の悪いところばっかりが見えて、うまくいかない。結婚と同じですよ。惚れ込んだら、多少欠点があっても「一緒に頑張ろう」という気持ちになりますよね。もともと私は「中国の役に立ちたい」という想いが強いので、相手の良いところも悪いところも見えるんです。そして、「ここを直してあげたいなぁ」という気持ちになる。すると、信頼関係が生まれ、互いに協力し合うようになります。
―最後に、経営者へのメッセージをお願いします。
和田:夢は必ず実現します。だから絶対にあきらめず、夢を描き続けてほしいですね。あとは現状に留まらずにチャレンジを続けることです。私自身、今も夢を持ってチャレンジを続けています。あと5年ぐらいしたら、当社に上場の誘いが来るかもしれません。実際、それぐらいの大きなビジネスチャンスが中国にはあります。私の経験を日中両国の経営者に伝えることができたら、最盛期のヤオハン以上に成長できるんじゃないか。そんな風に考えています。