―池田さんは27歳で実家の愛宕神社を継ぎ、同じ年に現在のNSGグループを設立しました。当時はビジネスのノウハウも資金もなく、周囲の反対もあったと思います。そんな環境下で、どうやって事業を興したのでしょうか?
池田:当然、最初は父や氏子さんから猛反対されました。なぜ神主が事業を興すのかと。でも必死に夢を語って、理解を得ることができました。その夢とは、新潟に日本一の教育機関をつくること。そして、地元経済を活性化させることです。ありがたいことに、父からは500万円もの大金を借りることができました。また共同創設者のいとこも、彼の父から500万円を借りることができました。さらに銀行から2,000万円の融資を受け、神社の境内に2階建ての木造校舎を建設。その小さな校舎の中で、学習塾やカルチャースクール、語学学校、国家試験の受験塾などを始めました。
―校舎ができたとはいえ、まだ学校には何の実績もない状態ですよね。学校経営は順調に進んだのですか。
池田:いえ。最初の1年は苦労しましたね。当時はとにかくお金がありません。生徒数の見込みも立たない。ですから、講師の先生に来てもらうのも大変でした。そこで、先生にはとにかく夢を語りました。「新潟に日本一の教育機関をつくりましょう」と随分熱く語りましたよ。そうやって必死に想いを訴え、優秀な先生方に来てもらうことができました。
―周囲に夢を語ることで、創業期を乗り越えてきたんですね。その後、今日まで順調に成長してきたのでしょうか。
池田:いえ、決して順風満帆ではありませんでした。その中でも最大のピンチは設立7年目。当時、事業は順調に伸び、新しい専門学校の建設計画が進んでいました。でも、その年は見込んでいた売上が上がらなかったんです。当初の計画の8割ぐらいしか生徒が集まらなかった。このままでは、新たな専門学校の建設資金が底をつきてしまう。もし学校の建設が1年遅れると、今後の収益計画が大きく狂います。なんとかして追加資金を集めなければいけない。タイムリミットは1ヵ月でした。
―どうやって、そのピンチを乗り越えたのですか?
池田:金融機関に融資をお願いしました。ほとんどの金融機関には断られましたが、三井銀行(現:三井住友銀行)さんだけは熱心に話を聞いてくれました。私の地域活性化にかける想いを評価してくれたのかもしません。ただし、融資を受けるためには「綿密な事業計画書を提出する」という条件がありました。でも、私はきちっとした事業計画書を書いたことがない。すると、支店長さんが書き方を丁寧に教えてくれたんです。三日三晩つきあってくれた。結果、銀行の審査を通過し、融資を受けることができました。ただ、それでも資金が足りなかった。こうなったらランニングコストを徹底的に削るしかない。やむを得ず、社員のボーナスを減額しました。その時は社員一人ひとりと話をし、夢を語りましたよ。「地域のための専門学校をつくりたい。1年だけ辛抱してくれ」と。最後は堅い握手を交わし、なんとか理解してもらえました。
事業分野を分散させリスクをコントロール
―そういったピンチを乗り越え、現在の御社があるわけですね。
池田:他にもピンチはたくさんありましたよ。なぜなら、私たちは様々な事業にチャレンジしてきたからです。チャレンジした結果、縮小や撤退した事業も山ほどあります。たとえば、約20年前にアメリカのハリウッドに映画学校をつくる準備を進めました。約15年前には、幼児教育の分野で相当額の投資をしました。でも、これらの事業はうまくいかず、撤退することになりました。つまり、現在の繁栄は死屍累々たる事業の上に成り立っている。失敗した事業が消えていき、成功した事業だけが残っているわけです。
―なるほど。外部からは成功し続けているように見えても、実際は数々の失敗があったんですね。
池田:ええ。成功の裏には、失敗から得た経験が活きています。たとえば、予備校事業では3億円もの損失を出しましたが、得たものも大きかった。それは予備校事業で失敗した責任者が成長したことです。予備校事業の撤退から10年後、彼は赤字病院の経営を引き継ぎ、見事に黒字化させました。現在、医療・福祉事業は年商150億円ものビジネスに成長しています。彼が経営者として成長したからこそ、医療・福祉事業がここまで大きなビジネスに育ったのです。
―失敗から得た経験によって、人材が成長したと。しかし、3億円もの損失を出した際、会社は傾かなかったのですか?
池田:大丈夫でした。なぜなら、事業のポートフォリオを組み、リスクをコントロールしていたからです。NSGグループは特定の事業で損失を出したとしても、グループ全体が傾かないように投資を分散させています。そして、致命傷になる危険性が生じた事業はスピーディーに整理・縮小します。だから、グループ全体ではずっと増収増益なんですよ。
―1996年、池田さんは経営手腕を買われて「アルビレックス新潟」の社長に就任しました。現在、「アルビレックス新潟」はJリーグ2位の観客動員数を誇っています。スポーツ不毛の地と言われた新潟で、スポーツビジネスを成功させた秘訣を教えてください。
池田:まず社長就任の背景からお話しします。当時、新潟県は日韓ワールドカップの開催地に立候補していました。そして、ワールドカップの試合を招致するには、新潟にJリーグを目指すプロチームをつくる必要があった。そこで急遽、地元のサッカーチームをプロ化することが決まり、その経営者として私に白羽の矢が立ったわけです。NSGの代表と兼務する形ですね。
―どうやってチームを黒字化させたのですか?
池田:まずスポンサー集めに奔走しました。当時のJリーグのビジネスは広告モデルしか成立していなかった。だから、大手企業のスポンサーを集めようとしたんです。でも、なかなか思うようにいかない。悩んだ私は海外の成功事例に活路を求めました。
海外には大手スポンサーに頼らず、経営に成功しているチームがあったからです。たとえば「FCバルセロナ」というスペインの名門チーム。このチームには親会社が存在しません。地域の住民がチームに出資し、その財務基盤を支えているんです。理論的には、新潟でも同じことができるはず。そう考えました。そこで、私は独自の年会費モデルをつくりました。法人は1口3万円、個人は1口1万円で後援会の会員を募ったんです。少額の年会費を地元の企業や住民から集めて、チームを支援してもらう。このモデルで財務基盤の安定化を図り、少しずつ会員を増やしていきました。ただ、赤字の金額は億単位。だから、黒字化への道は遠い状況でした。
そうこうしている間に、新潟でワールドカップの試合開催が決定。「当初の目的を果たしたんだから、もうプロチームは必要ない」という意見も聞こえてきました。しかし、私はここが踏ん張りどころだと感じていました。そして、私の個人資産から「アルビレックス新潟」に1億4,000万円を増資。会社の債務超過を防いだんです。
後援会・サポーターズクラブの会員数はJリーグトップ
―なぜ個人資産をつぎこんでまで、経営を立て直そうとしたのですか?ワールドカップの試合開催が決定したのを機に、チームを解散させる選択肢もあったと思うのですが。
池田:この地域を活性化させるためには、「アルビレックス新潟」が必要だと思ったからです。新潟県民の精神的支柱となるシンボルが必要だと。そんな想いを訴えるため、私は県内をくまなく回りました。「新潟を盛り上げるためには地元のプロチームが必要です。ぜひサポーターになってほしい」と頭を下げ、後援会に入ってもらうようにお願いしたんです。その結果、県内に40もの後援会を結成することができました。
―その方法でチームの経営を立て直すことができたのでしょうか?
池田:後援会の拡大は地道な活動です。当時はサッカーというスポーツへの理解も乏しく、私たちの主旨に賛同してもらうのに苦労しました。また、当時の新潟にはスポーツ観戦にお金を払う習慣がありませんでした。
そこで、まずはスタジアムに足を運んでもらおうと考えました。採算を度外視して、無料招待券を大量に配布したんです。もちろん、やみくもに招待券を配ったわけではありません。自治会の回覧板で希望者を募ったり、学校経由で子どもたちに往復はがきを渡すなど、様々な工夫をしました。
その結果、4万3000人を収容できるスタジアムがほぼ満員になったんです。その光景は壮観でしたね。スタジアムが満員になると、一体感があってしびれるくらい興奮します。きっと満員のスタジアムに足を運んだ人たちは、新潟の地域愛を再確認できたんじゃないでしょうか。それ以降、無料招待券の配布を減らしても、スタジアムはチームカラーのオレンジで埋め尽くされるようになりました。
―遂に経営再建を果たしたわけですね。
池田:ええ。現在、「後援会」と「サポーターズクラブ」の会員数は、合わせて約1万5000人。これはJリーグの中でもダントツトップの数字です。そして、この方々が年間のシーズンパスを購入してくれる。だから「アルビレックス新潟」は不況にも強いんです。不況で広告収入が減っても、財務基盤は揺らぎません。
―池田さんは関東ニュービジネス協議会(NBC)の会長も務め、これまでに数多くの経営者を見てきました。「逆境を突破できる経営者」の条件は何だと思いますか?
池田:3つあると思います。1つ目は、強い気持ちを持つこと。「この壁を乗り越えなければ、自分の人生はない」。それぐらいの気構えで経営にあたることです。そして「必ず解決する道はある」と自分を信じて、絶対にあきらめないこと。私自身、そうやって逆境を乗り越えてきました。2つ目は、貪欲に学ぶこと。他社が逆境を乗り越えている理由を学ぶことです。ファーストリテイリング、ニトリ、エービーシー・マート・・・。彼らは不況でも勝てるビジネスモデルを構築しています。また、儲からないと言われた農業でも利益を出している会社もあります。そういった優れた他社から貪欲に学ぶことが大事です。業種・業態は関係ありません。2つ目は、本質を見極めること。仮説と検証をくり返し、市場の本質的なニーズを掴むことです。たとえば手前味噌になりますが、不況でもNSGグループのダメージは少ない。その理由は、学校経営の本質を明確に掴んでいるからです。
―学校経営の本質とは何ですか?
池田:学生たちに「ナンバーワン・オンリーワンの教育」を提供することです。たとえば、サッカーの専門学校は国内ナンバーワン。スキー・スノーボードの専門学校は国内オンリーワン。介護系の専門学校は世界トップクラスのスウェーデンの学校と提携しています。だから、私たちは地方というハンデを克服し、首都圏の学校との熾烈な戦いに勝っているんです。実際、当グループの学生の15%は県外から来てくれています。この割合は他の地方の学校と比較すると、圧倒的に多いですね。
―NSGグループは1976年の設立以来、増収増益を続けています。企業を継続的に成長させる秘訣を教えてください。
池田:経営者自身が“人間の幸せ”を真剣に想うことじゃないでしょうか。この気持ちがないと、いつか道を踏み外します。ビジネスの目的は金儲けじゃありません。人間の幸せを追求すること。それがそのまま市場のニーズに応えることにもなるんです。この30年間、私は数多くの経営者が失脚していくのを見てきました。その多くはお金儲けだけを目指した結果、失敗してしまった。たとえば、法律にはグレーゾーンがあります。そのグレーゾーンを経営者がどう判断するかは、人間性に関わってくる問題です。白とも黒ともとれる状況の中で、あえて正しい方を選ぶ人かどうか。そこが問われるんです。最終的には「どう生きるか」という経営者の心構えにかかってくる。だから、経営者はいろんな人と会って、人間性を磨いていくしかありません。私も死ぬまで勉強だと思っています。