株式会社ロックオン 代表取締役 岩田 進

「諦めよう」なんて思ったことはない

株式会社ロックオン 代表取締役 岩田 進

2017年10月、成長企業の経営者約200名が一堂に会する経営者イベント西日本ベンチャー100カンファレンス 2017が開催されました。

危機を成長のバネにした大逆転ストーリーをベンチャー起業家3名に聞くシリーズ。第1回は株式会社ロックオン代表の岩田さん。大学を休学して世界を放浪した4ヵ月間の旅を経て「やる気のないオムライス屋」の再生に挑戦。 “起業家人生の第1歩”を踏み出したものの、それはみごとに失敗します。上場も準備着手から実現まで7年という長い時間が。岩田さんの「諦めないチカラ」はどこにあるのかを聞きました。リミットをはずした時、なにがあってもへこたれない無敵の人間になれるのかもしれません。

※本記事は INOUZ Timesから転載しており、記事は取材時のものです。

ビジネスは“立地”で決まる

――株式会社ロックオンを起業するまでの経緯を聞かせてください。

大学(関西学院大学)在籍中の2000年に武庫之荘(兵庫県尼崎市)の自宅で創業しました。起業のきっかけは世界放浪。関学に入学して2週間後に休学することを決め、世界放浪の旅に出たんです。

大学に入学する前から「将来は世界で活躍する人間になる」という目標をもっていました。ですが、入学してみると、あまり役に立ちそうにない。それで「オモロないなぁ」と休学することにしたんです。

だからといって、ほかになにかやりたいことが特別あったわけでもありません。そんなとき手に取ったのが“バックパッカーのバイブル”といわれている沢木耕太郎の紀行小説『深夜特急』。番外編を含めた全7巻を夢中で読了しました。そして、読み終わった瞬間に「世界に行くしかない」と思い立ち、3ヵ月間で100万円の旅行資金を貯め、片道切符で海外に飛び立ちました。

最初は東南アジア、次にアメリカへと渡りました。とても楽しかった。多くの学びもありました。ゆくゆくは世界の人たちに価値を提供できるような人間になりたい。そんな想いが、どんどん、どんどん、毎日強くなっていきました。

ところが観光ビザで旅をしていたので現地で仕事に就くことはできない。かといって路上ミュージシャンみたいなことをしてもしょうがない。バックパッカーを続けても意味はないと思い、「日本に帰って真剣に仕事に取り組んで自分を高め、10年後にまた世界に飛び出す」。そんなゴールを設定して日本を飛び出てから4ヵ月後に帰国しました。

大学には戻らず、堺市(大阪府)の深井という駅の近くのオムライス屋で働き始め、結果的に入社2週間でその店のオーナーになりました。このオムライス屋が自分にとって初めての起業になりました。

――どんないきさつだったんですか。

赤字続きの店でスタッフたちにはやる気がない。店を再生するためには自分がオーナーになるしかない、と思ったんです。「学園祭(の屋台など)ではみんな楽しそうなのに、社会人になったら、なんでやる気がなくなるんだ」。そんな憤りすら感じました。

そこでオーナーに掛け合ったんです。「赤字でしんどいでしょう」「スタッフにまったくやる気はないし、お客さんも満足していない。だから、このまま続けてもしょうがないですよ」「でも、この店を僕に譲っていただければ、来月から赤字は絶対になくなります。安心してください」。こんな交渉をして店を譲渡してもらいました。

ところが、結果はまったくダメ。1年くらいで閉店に追い込まれました。とにかく立地が悪かった。その時、「ビジネスは立地なんだ」と痛切に感じました。石油が埋まっていない場所で穴を掘り続けても当たらないものは当たらない。立地を間違えると、いくら頑張ってもどうにもならないということを学びました。

ビジネス一般に当てはめると「競争がない場所でビジネスをする」ということ。1番になれる領域でビジネスをする。そうした“立地”が大切だということです。なぜなら、2番手、3番手、あるいはその他大勢の立場で事業をする場合、価格競争や品質競争、あるいはその両方をしなければなりません。でも、自分たちがNo.1、もしくはオンリー1ならどうでしょう。競争をする必要がなく、勝ちしかありません。そんな理由で、当時、まだ参入が少なかったIT業界で起業しました。

こぢんまりする会社とハネる企業の違い

――その後は順調に推移したんですか。

売上高10億円ぐらいのときに見舞われたリーマン・ショックのときは少し大変でした。その直前に広い物件を借りたんですよ。社員数は20数名だったんですが、その後の急成長に備えて200坪のオフィスを借りる契約を結びました。家賃だけでも年間1億円。リーマン・ショックでいろんな計算が狂いました。

リーマン・ショックの影響で、その前後に起業した多くのITベンチャーが苦境に立たされ、ギブアップしたところも少なからずありました。僕もそれなりの思いはしました。だけど、ギブアップしようと思ったことはありません。そもそも、ビジネスにおいては「諦める」という選択肢は存在しないと思っています。

たとえば入試で東大に合格するとか、スポーツならオリンピックに出場するのはすごく難しい。入試では受験日と解答方式が、オリンピックにも開催日や種目ごとのルールが決まっています。一定の期限やルールのなかで競争しなければならない場合、必然として選ばれる勝者と選ばれない敗者を明確にわけます。

でも、ビジネスに期限はない。守らなければいけない法律はあるけど、ルールが決まっているわけでもない。3年で勝負を決めなければいけないものではないし、なんだったら30年かけて独自のルールを自分でつくって、それで1番になってもいい。ですから、どんなに苦しい思いをしたとしても、諦める必要なんかないんです。

――株式会社ロックオン は2014年に東証マザーズへの上場を果たしました。どのようなタイミングで、どんな理由で成長にぐっと弾みがついたのかを聞かせてください。

自社プロダクトをしっかりつくってきた結果だと思います。自社プロダクトが当たるかどうかは未知数の部分があります。だけど、そこに張っていかないと成長に弾みがつくようなことは絶対にない。

成功している経営者の研究をしてみると、早い段階で自社製品で勝負をしているという共通項があります。最近、サイバーエージェントの藤田晋さんにお会いしたのですが、藤田さんも創業3ヵ月でクリック保証型のバナー広告システム「サイバークリック」という自社サービスをつくり、勝負をかけた。それが今日のサイバーさんの原点です。

こぢんまりとした中小企業で小さくまとまらず、成長し続ける有望ベンチャーになるためには、できる限り自社製品、自社サービスに張ることがすごく重要。まして世界に1発打とうと思うなら、最初から自社プロダクトをしっかりつくっていかなければいけません。

「ああはなりたくない」

――IPOを目指す起業家やベンチャー企業に向けたアドバイスとして、上場時はここが大変だったという苦労話があれば教えてください。

具体的な上場準備に着手したのは2007年。その年に監査法人のショートレビューを初めて受けました。そこから実際に東証マザーズに上場したのは2014年なので、上場準備に足かけ7年かかった計算になります。

創業したのは世に言う「ネットバブル」のさなか。ITで創業したからには上場するのが当たり前みたいな時代の雰囲気がありました。一歩一歩、着実に前進するのではなく、M&Aをどんどんやって会社を大きくしながら上場する。そんなイメージを僕も漠然と描いていました。

一方で、上場後に業績を下方修正するなどして急失速する会社もあります。ネットバブルが弾けた後は、まさにそんな感じ。その様子を見ていて「ああはなりたくないな」と思いましたね。やはり上場までに利益で10億円ぐらい出せる企業をつくって、さらにブーストさせられる状況をつくったうえで上場したい。そんな想いを強くもちました。その実現のために、準備から上場まで7年かかったということです。

上場後は、ヒト、モノ、カネ、情報のすべての面で、相当レベルアップしていると思います。上場前も採用はそこそこがんばっているなと思っていたんですけど、上場後の新卒採用はまるきり違いますね。上場後に国公立を卒業して入社したメンバーに聞くと、彼らにとってベンチャーとは東証マザーズに上場している会社のことを指すらしいんです。

上場するとIRが大変という声も聞きます。だけど、投資家って毎日いろんな経営者と会っているので、多様な角度から意見をしてくれる。これはすごく勉強になりますね。ですから、上場して後悔したり、これはどうなの、と思ったことは一切ありません。100%よかったと思います。

――今後のビジョンを聞かせてください。

いま当社では「マーケティングロボット」を事業として展開しています。マーケティングは労働集約な部分があり、これを自動化と効率化によって大きく変革していきたい。目指しているのはマーケティングロボットカンパニー。こんな壮大な夢を描いています。

岩田 進(いわた すすむ)プロフィール

1977年、大阪生まれ。1998年、関西学院大学在学中に最初の起業。2001年、2度の起業を経て有限会社ロックオン(2004年に株式会社化)を設立し代表取締役社長に就任。2004年にマーケティングプラットフォーム『アドエビス』をリリース、2006年に日本発のECオープンプラットフォーム『EC-CUBE』をリリース、2012年に第3世代リスティングマネージメント『THREe』をリリース。2014年9月に東証マザーズに上場。2017年10月に東京支社を東京本社に改称し、大阪本社との2社本社制へ移行。

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