「共感総量」が会社の発展性を決める
私がリンクアンドモチベーションを起業し、経営してきた中で感じた二つの大切な考え方をお伝えしたいと思います。それは「ビジネスとは社会とのコミュニケーション活動である」ということ。もう一つは「社員は投資家である」ということです。
まず、「ビジネスとは社会とのコミュニケーション活動である」から、どういうことかを説明しましょう。
私は若い経営者から、さまざまな経営相談を受けることがあります。そんな時、いつも「社会に伝えたいことはありますか?」という質問をします。そして「自分が心の底から、社会に何を伝えたいのか、メッセージを研ぎ澄まして、それを事業にしてください」とアドバイスをしています。
時には「キミね、誰かが儲かっているからって真似しても、あまり長続きせえへんで」とあえて厳しい直言をすることもあります。
伝えたいメッセージが時代に合っているか、独自性や広がりがあるのか、社会からの「共感総量」で事業の発展性は決まると私は考えています。
会社は「メッセージの発信基地」
私は、起業前に務めていたリクルート時代に「これは世の中に伝えなければならない」と確信できるものが生まれ、「このまま大企業でサラリーマンを続ける限り、社会に自分のメッセージが発信できない」と感じてリクルートを辞め、2000年にリンクアンドモチベーションを起業しました。
私が確信したのは「これからは、経営者や起業家にとって重要なアセットが人材になる」「なかでも“モチベーション”が大切になる」ということでした。もっと言うなら「会社と社員のエンゲージメント」。これがすごく大事になるぞと気付いたんです。
起業した当時、そうした考え方は一般的ではありませんでした。しかし、日本の労働力人口減少は明らかでしたので、これはもう確実にそのベクトルになると確信していました。
ですから、今後、重要になるモチベーションやエンゲージメントについて社会に発信していくための“発信基地”として会社を自分で創りました。これが起業した理由です。
伝えたいことを伝えるための“メディア”。それが自社の商品であり、プロダクトであり、サービスなのです。
ビジネスはコミュニケーション活動
売上は自分たちが発信したメッセージに対する「なるほど、その通りだ」という社会からの共感総量に比例します。逆に売上が思うように上がらないのは社会から共感されていないからにすぎません。
弊社では、売上が低迷した部門に対して「きちんとメッセージを発信出来ているか?」「メッセージが研ぎ澄まされていないのでは?」「共感を呼べるメッセージになっているか?」そんな質問を投げかけています。
何度も言いますが、ビジネスとはコミュニケーション活動なんです。そこには顧客に対するコミュニケーションもあれば、未来の社員に対するコミュニケーションもあります。上場すれば株主や投資家とのコミュニケーションもあります。
様々な場面で、様々なコミュニケーションを企業は行わなければなりません。その共感総量にいつも経営者は気を配る必要があります。
辞める社員に“恨み辛み”が生じる構造
社員は単なる労働力ではなく「社員は投資家である」、しかも最大の投資家であるということについて説明をしましょう。
社員は投資家のように会社にお金を出してくれるワケではありません。しかし、社員は人生において最も重要な時間と能力、あるいは経験、技術を会社に投じてくれる存在です。ですから、社員は投資家なんです。
多くの経営者は社員のことを「仲間」「家族」あるいは「同志」だと考えます。私も創業してしばらくは「社員は志を同じくする同志なんだ」と考えていました。「社員は家族だ。自分が社員の父親なんだ」とも思っていました。
しかし、社員は辞めるときは辞めていきます。リクルート時代を含めてこれまでに何百人、何千人もの社員たちと退職面談をしてきました。そのほとんどは相談ではなくて報告です。「辞めます」という報告でした。
私は「そうなの?」などと平静を装っていましたが、心の中では相当動揺していました(笑)。「これだけ育ててやったのに・・」あるいは「とても期待していたのに・・」という思いで一杯。「それなのに、何やねん!」という言葉が出かかったこともありました。
人が辞めることは、経営者として一番のストレスですよね。この「~のに・・」という恨み辛みが尽きないものです。
社員は意外とあっさり辞めていく
社員は同志や家族ではない、「投資家なんだ」と考え方が変わるようになったきっかけはリーマンショックです。会社の業績が2008年から2010年にかけて悪化し、「サイバイバルプラン」と名付けた厳しい施策を実施する過程で、社員が多く辞めていきました。
弊社は2007年に東証2部に上場し、翌年の2008年12月に東証1部に指定替えを果たしました。リーマンショックが起きたのはその直前の9月。当時の売上は約80億円ちょっと、社員数は300名強でした。
リーマンショックが起きた直後の10月、11月の業績は低迷し、なんとか頑張って東証1部への上場が実現しました。しかし、年が明けると業績は更に悪化し、リーマンショックの影響が大きく出てきました。
同時に「同志だ」「家族だ」と思っていた多くの社員が会社を去り、「みんな意外とあっさり会社を辞めていくな」とショックを受けたことを今でも覚えています。