―御社の業績がまだ好調だった2008年6月に越智さんは突如会長に就任されています。その理由を教えてもらえますか?
越智:実は今だから言えることなのですが、直接の理由は私自身が抱えたストレスでした。2007年の1年間で、公私ともに7つのストレスを抱えていたのです。そのひとつは、全社員の日報チェック。当社では全社員に日報を書かせており、当時はすべて私も目を通していました。社員数が急増し、1000名を突破した時期です。朝の5時から8時まで、毎日1000名分の日報を読んでいたんです。内容は初歩的な課題や悩みも多く、結果、相当のストレスが溜まったのだと思います。そんな日々が続き、突然、2008年1月に右側の顔面に❝けいれん❞が起きるようになりました。医師からは❝片側顔面痙攣❞と診断され、手術をしなければ治らないと言われました。そして対外的なイメージを考慮して社長の座を譲り、会長に就任。原因は何であれ、ストレスに負けるような情けない経営者ですよ。
―越智さんが会長に就任された3ヵ月後、2008年秋にリーマン・ショックが起きます。その後の経営危機をどのように乗り切ったのですか?
越智:たしかに、求人広告業界の売上は半分以下に減りました。当社の売上も200億円台から100億円台へと半減。それまでの増収増益から一転、初めての大幅減益に陥りました。それでも当社が赤字に陥らなかった理由は、2009年5月、業界の中で先駆けて希望退職による人員削減を行ったからです。あのときにやらなければ、翌年に倍の人数を削減しなければならなかったでしょう。とはいえ、経営者として決して自慢できることではありません。本来は人材ビジネス以外にも事業を拡大し、リスクを分散しておくべきだったと反省しています。
―逆境下における経営のポイントを教えてください。
越智:自然体で経営を行うことです。平素から❝きれいごと❞を言っていると、いざ危機に陥ったときに経営者としての判断を誤りかねない。経営者は偽善的では務まりません。
当社が希望退職を決断できたのは、確固たる「人理念」があったからです。人理念とは「縁があって集まった仲間を『人間成長』という観点から、大善の心で目をかけ続ける。たとえ自社が危機に陥って、退職を余儀なくされても、どこでも通用する人財になれるように仲間として支援し、また、自らも努力する」という考え方。ここで言う『人間成長』とは「ビジネスを自らの成長ステージと捉え、心技一体のプロとして心物両面で豊かになること」です。つまり、当社は仕事そのものを成長の場と捉え、社員がどの業界でも通用できるように育成していくことを大切にしてきたわけです。
もちろん、希望退職の決断には大きな葛藤がありましたが、「人理念」を平素から伝えてきたことで、決断の時期を誤らずにすんだと考えています。「就職先がなくて困っている」という話は聞いていないので、厳しく鍛えてきたことが功を奏したと思います。
―逆境下では経営者の決断力が問われるのかもしれません。他に逆境を乗り切るためのヒントはありますか?
越智:経営者の役割は、売れる商品・サービスを作り続けることです。成功体験なくして成長はないですから。不景気になったときに、今まで売れていた既存商品が売れなくなることが当然あります。そんなマーケット変化に対応した新しい商品を常に作り続けなければいけない。そうしておけば、当社も人を削減しなくてもよかったかもしれません。経営者として商品を作ってこなかったことは猛省すべき。その反省を踏まえて、今は新しい商品の芽を育てています。それが経営者の責任だと、今回の逆境下で改めて気がつきました。
―経営者として様々な苦しみを抱えながらも、前進を続けているわけですね。長年にわたり人材ビジネスに携わっていますが、大切にしてきたことは何ですか?
越智:おかげさまで新社長の鈴木がこの2年で期待以上の成長を遂げてくれました。目先の経営が安定軌道にあることで、私は人材ビジネスについて改めてじっくり考える時間をもてました。これまでの道のりを振り返ると、業界全体が転職をあおる中、私たちは「転職は慎重に。」という真逆のメッセージを発信してきました。当初は私個人の主観的な主張でしたが、考え方を地道に伝えていくうちに、求職者も企業も世の中も支持をしてくれるようになりました。ある程度、業界全体にも良い影響を与えられたのではないでしょうか。周りから認められるようになったことで、自分なりの仮説の正義が、結果として「社会正義」に至ったと思います。
―人材ビジネスの今後については、どのように考えていますか?
越智:この業界は、まだ矛盾を抱えています。適当に人が入社して適当に人が辞めれば、企業はまた求人広告を出す。すると業界は潤う。つまり、採用した人がすぐに辞めてもらったほうが業界としてはありがたい。私はこの構造がおかしいと思います。そこで、私たちは人材採用支援だけでなく、入社後のフォローまで行い、人財が活躍するかどうかまで見届けようと考えました。入社後の活躍支援については、すでに動き出しています。そして、もうひとつ考えたこと。それは、日本経済の将来を担う若手人財についてです。日本の将来を支えるべき若手人財は、「ゆとり教育」や「大学全入化」などで、❝厳しさ・競争❞の経験者が少なくなっています。ある有名大学の非常勤講師をした経験からも、このままでは日本はダメになると痛感しました。日本がグローバル競争を勝ち抜いていくためには、若手人財の弱体化に対して誰かが歯止めをかけなければいけない。憩いの場である家庭では叱られない。授業料をもらう大学も厳しくできない。そう考えると、若者を鍛えられるのは給与を払う立場のわれわれ企業しかないのではないか。そう確信し、「人間成長宣言」を掲げることにしたのです。
―「人間成長宣言」とは何ですか?
越智:日本経済の発展のため、「強い新卒社会人の育成」を使命に取り組む企業と当社の共同宣言です。経営者の皆さまには、育成視点をもって就活生に接してもらいます。この25年間、私は新卒説明会で厳しい話をしてきました。その中でわかったのは、若者は厳しい話を望んでいるということ。想像以上に素直に反応してくれます。ですから、経営者の皆さまには、自分の生きざま、想い、考えをもっと伝えていただきたい。そして、覚悟をもって入社を決めた学生に対しては、「入社後3年間は責任をもって鍛える」ことに合意してほしいのです。「石の上にも3年」というように、入社後の定着がその後の活躍につながるでしょう。当社も宣言企業に入社した新卒社会人に対して、責任をもって3年間の活躍支援を行います。この取り組みは社会的意義も大きいと考えています。日本経済を発展させるためには、若者を強くする必要があるからです。就活生に対して育成視点で関わり、入社後の活躍を本気でサポートしていく。これを経営者の皆さまと一緒に取り組むことが「人間成長宣言」なのです。今期は200社の共同宣言を募りたいと考えています。
―「人間成長」という言葉を使ったのはなぜですか?
越智:他に適した言葉があれば、別の表現でもよかったんです。ただ、当社の成長そのものが「人間成長」という理念によって支えられているので、もっと世に広めれば役に立てるのではないかと考えました。
日本人が元来もっている「すべての業を修行と捉える独特の労働観」は、世界に誇るべき考え方です。また、❝物心❞ではなく❝心物❞が大切であることを伝えます。今回の震災がまさに教えてくれました。家、財産などを震災でなくした方は多いでしょう。物は儚い。しかし、強い心があれば、必ず人はもう一度チャレンジできるのです。
エン・ジャパンの「仕事を成長ステージと捉える労働観」と「強い心の大切さ」を学生と企業に伝えていくことで、ミスマッチが減り、入社後の活躍につながる。同時に、これからの日本を支える若手人財を強く鍛えることにつながると考えています。
―越智さん自身も苦しんだからこそ、使命感が湧いてきたのでしょうね。
越智:本当はラクをしたい自分もいるんですよ。でも、誰かがやり始めなければいけない。まだ、引退なんて、できません。私は2013年卒の就活生約1万人に対して、この考え方を直接伝えていきます。就活は50年以上におよぶ社会人生活の第一歩を決める大切な選択をする期間。仕事を成長ステージと捉える労働観を伝え、最初の一歩目で厳しい環境を選択することが後々の人生を幸せにするということを教えていきます。また、宣言企業の経営者の皆さまには、採用に限らず、公私も含めていろんな悩み相談にのっていくつもりです。私も数多くの苦労を経験してきました。変化の激しい時代ですから、皆様とともに考えていきたいですね。
―もはや新サービスという枠組みを超えて、“世直し”に近い印象です。
越智:近隣には今なお徴兵制度を敷く国もあり、若者は厳格な環境下で心身ともに鍛えられています。このままではアジアにおける日本の地位はどうなっていくのでしょうか。この国の未来を憂い、真剣に対応策を考えた結果、今回の宣言にたどりついたのです。「なぜ民間のわれわれが給与を支払ってまで、さらにこんな取り組みをせねばならないのだ」と思う経営者の方もいるかもしれません。その一方で、若者の弱体化を嘆く気持ちと日本の将来を憂う気持ちを持っているのではないでしょうか。その想いこそが、この取組みの原動力になるのです。「人間成長宣言」は、わが国の未来をつくるための偉大な一歩になると信じています。