―2012年3月期では過去最高の売上高約1400億円以上を計上。経常利益も約78億円と過去最高益でした。しかも、この不況下で、どちらも前年比2ケタ増。なぜ御社は目覚しい成長を続けることができるのですか。
渡邉:介護事業や宅食事業が業績を牽引しました。ワタミグループの創業事業である「和民」を中心とした国内外食事業(注1)は減少傾向にあります。ピークは売上高約930億円を計上した2008年3月期で、今年3月期は780億円に減少。この4年間で20%以上のマイナスとなりました。一方、介護事業は、2008年3月期の売上高105億円から今年3月期には285億円と約2.7倍に拡大。宅食事業も、2013年3月期の売上高105億円から今年3月期には262億円と、約2.5倍に成長しました。営業利益ベースでは、国内外食事業が約36億円だったのに対し、介護事業は約49億円を計上。初めて介護事業が国内外食事業の営業利益を上回りました。宅食事業も、2013年3月期では国内外食事業を超える勢いで伸びています。
(注1)事業会社はワタミフードサービスとWATAMI USA GUAM の2社。
―成長市場を狙って推進した多角化が好調な業績につながっているのですね。
渡邉:いや、そうではありません。ワタミグループのスローガンは「地球上で一番たくさんの❝ありがとう❞を集めるグループになろう」。より多くの「ありがとう」を集めるために介護事業や宅食事業に進出したのであり、収益拡大のために参入したのではありません。単にビジネスチャンスを狙っていただけなら、介護保険制度がスタートした2000年の段階から参入していたでしょう。でも実際に参入したのは、介護ビジネスブームが下火になった2005年。私が進出を提案した時は、他の役員からこぞって反対されました。ブームが過ぎたとされる事業に、当時の自己資本のおよそ半分に当たる93億5000万円を投資しようというわけですから、周囲からは無謀に見えたかもしれません。
介護事業を始めたのは、ご入居者のおじいちゃん、おばあちゃんたちの「ありがとう」を集めたかったからです。きっかけは病院経営(注2)を通じて在宅介護の現状を知ったことです。高齢者の方が介護保険によって十分幸せであったなら、参入する必要はありませんでした。でも、現実はまったく違ったので、参入を決めたのです。後から振り返れば、ベストタイミングでの参入だったのかもしれません。しかし、それはあくまでも結果論に過ぎません。大事なのは、事業の中に思いがあるかどうか。時代や世間がどう移ろおうが、この思いを本気で持ち続けていることがワタミグループの強みであり、不況下でも業績が伸びている理由です。
(注2)病院経営:渡邉氏が出資、理事長に就任し経営参加している岸和田盈進会病院のこと。
―ワタミグループは2001年の香港進出に始まり、アジア各地に店舗を展開しています。アジア進出を成功させる秘訣は何ですか。
渡邉:私が海外進出で大事にしているのは❝ワタミらしい❞ということ。海外のパートナーに対しても、理念を共有する仲間であることを求めます。こう考えるようになったのは、初めて海外に進出した香港での失敗がきっかけですね。
香港に進出する際、別のビジネスで成功した香港人経営者に全権を委ねました。彼は500人超の社員を抱える企業の社長でしたが、「中国でワタミを展開したい」と当社に入社。皿洗いからスタートし、本気でワタミ流経営を学びました。これなら香港出店を彼に任せても大丈夫だ、と安心していました。ですが、彼からひとつだけ気になる注文がありました。「ワタミのビジネスモデルは中国でも通用するが、理念教育はやめてほしい。中国人は会社をキャリアアップの場だとしか考えない。会社に愛情を持たせようとしてもムリだ」と言うのです。
―郷に入れば郷に従え、の論理ですね。
渡邉:私も当時は「そんなものかな」と同意し、それから4~5年は彼のやり方を見守りました。
しかし、ついに我慢ができなくなった。会社に愛情がないだけでなく、お客さまへの愛情もない会社になり果ててしまったからです。そこで、私は日本とまったく同じマネジメント手法を香港に持ち込むことを決め、現地に飛びました。1000人からなる香港の中国人社員を一堂に集め、彼らの前で「お店はお客さまに出会いや安らぎやふれあいを提供する場だ。しかし、あなたたちは自分のお金のことばかり考えている」と、たんかを切ったのです。「こんなのはワタミじゃない。中国人社員がワタミの理念を理解してくれないなら、撤退してもいい」という覚悟でした。
実際、半分ほどの社員がすぐに会社を去りました。しかし、そこからコツコツと汗をかいて仕事をする文化が、香港のワタミでも育ち始めたのです。結果として、いま香港のワタミは、お客さま思いの素晴らしい会社になっています。
―どのように変わったのですか。
渡邉:ワタミが進出した当時の香港のレストランといえば、横柄な店員が多いことで有名でした。香港のワタミも、そうした店になっていた。しかし、「ありがとうを集める」という理念のもと、高級レストランや料亭並みの接客やお客さまへの心配りを行うのが、本当のワタミです。辞めずに残った社員はワタミの理念を少しずつ理解し、接客態度も日本並みに向上したのです。すると、お客さまへの心配りが評判となり、繁盛店になりました。こうした香港での失敗と成功から、海外進出するにあたって一番大事なことは、企業のDNAを崩さないこと。そのまま現地に持っていくことだと悟りました。
ワタミの事業承継において大切にしているポイントとは
―海外では言語の壁だけではなく、文化の違いもあります。どのようにして、理念の浸透を図っているのですか。
渡邉:何度も何度も対話を繰り返す以外にありません。ワタミグループの理念集(注1)やビデオレター(注2)は、北京語、広東語など、すべて現地語に翻訳しています。私も年に2回は渡航し、現地で理念研修会(注3)を実施しています。日本とまったく同じ理念浸透のシステムを海外でも行っています。いまは、私と同じ情熱で理念を伝えてくれる人材に現地のマネジメントを任せています。海外の商品部門の現地責任者は、創業時、私と一緒に汗をかいてくれた男です。最近まで香港のワタミで社長を務めていたのは、ワタミ1号店(当時、つぼ八)のアルバイト経験者。現在の社長も4号店のアルバイト経験者です。みんな、私とは30年近くの間柄。ワタミの理念で結ばれている仲間です。
(注1)理念集:創業者である渡邉氏の価値観・使命感を現場のさまざまな事例をもとに解説した冊子。
(注2)ビデオレター:ワタミグループの事業展開や活動を紹介するトップメッセージを収録したビデオ。毎月1回、各事業拠点に配布し、パート・アルバイトを含めた全従業員が視聴できる。
(注3)理念研修会:ワタミグループの原点を振り返り、1人ひとりの社員が理念を体現できるようになることを目的とした研修会。ワタミグループのトップの講話や質疑応答、理念をテーマとしたグループディスカッションなどを通じ、理念のより深い理解を促進している。
―多くの創業経営者が事業承継に悩んでいます。創業者である渡邉さんは昨年2月、代表権を持たない取締役会長に就任しました。事業承継において大切にしているポイントを教えてください。
渡邉:一番大事な点は、企業成長を続けながら、承継プロセスを確実に推し進めていくこと。後継者に社長の椅子をポンと渡してすむものではありません。私の力が必要とされる時はアドバイスをしますが、後継者を育成するため、あえて言いたいことを飲み込むこともあります。経営の微妙な間合いをとりながら、徐々にでも私への依存度を確実に下げていく。ここがポイントだと思います。
―ワタミグループは、創業者である渡邉さんの迅速な意思決定で成長してきました。事業承継後は、どのような形でグループ経営を推進していくのですか。
渡邉:集団指導体制によって、情報の確実な共有と迅速な意思決定を行います。
その仕組みをつくったのは2009年6月。グループ持株会社であるワタミ株式会社の代表取締役社長を外食事業のワタミフードサービス株式会社代表取締役社長の桑原豊に兼務させ、介護事業のワタミの介護株式会社の清水邦晃、MD・農業のワタミ手づくりマーチャンダイジング株式会社の門司実、高齢者向け宅配事業のワタミタクショク株式会社の吉田光宏の各代表取締役社長にも、ワタミ取締役を兼務させました。それぞれ単体で、普通の東証一部上場企業並みの大きさの企業です。しかし、彼らが「自分の事業だけ見ていればいい」という意識では、グループ経営は機能しません。そこで、ワタミ取締役兼務と同時に担当役員制度を導入。4社の社長には自らが執行する事業会社以外に、他グループ会社の経営状況を監視する責任を担わせました。ワタミグループ全体を見る意識を植え付けるためです。持株会社のトップは一人だとしても、グループ経営を機能させるためには、この4人を次のリーダーとして同時に育て上げる必要があります。
―どれくらいの期間をかけて事業承継を行うのですか。
渡邉:あと3、4年で終えたいですね。経営面で最終的にどうしても私が見なければいけない部分は、資本政策や役員人事、企業文化を守る部分など、創業者としての役割に特化していきたい。実際問題として、3、4年でできるかどうかはわかりませんが、強い意思を持ち、確実に前進していく覚悟です。