「時代を読んで、仕掛けて、待つ」という流儀
―元榮さんが世に送り出した電子契約サービスがいま、大きな注目を集めています。
実際にこのサービスを手がけたのは、2014年でした。2000年初頭のアンダーソン・毛利法律事務所(現:アンダーソン・毛利・友常法律事務所)に勤めていた当時、弁護士として多くの契約締結に携わるなかで、契約書を印刷し、ホチキス止めをし、押印、割り印。多くの当事者が関わる大型プロジェクトになると契約書だけでも十数通におよび、それを複数パターンつくらなければいけない。「これが21世紀にやることか」という強い疑問を抱いたのが、サービス着想のきっかけでした。
ただし、日本のハンコ文化は根強く、電子契約サービスが浸透し始めるまでに最低でも5年、一般化するには10~20年ほどはかかると見ていました。コロナ禍の到来によって、思わぬかたちで普及が進んでいますが、電子契約の時代は間違いなく来るという確信がありました。「時代を読んで、仕掛けて、待つ」というのが、私の流儀なんです。
―振り返れば、『弁護士ドットコム』という画期的なアイデアが生み出されたのも、大きな環境変化がきっかけでした。
ええ。私が現在の弁護士ドットコムを設立した2005年といえば、司法制度改革を受けて2004年に法科大学院がスタートした直後であり、2007年12月にはその第1期生が弁護士市場に新規参入してくるという、大きな転機を業界は迎えていました。
一方で、当時はいま以上に弁護士業界は遠い存在であり、弁護士の助けを必要としていても、利用できない人が数多くいることは実感していました。ですから、両者をマッチングするサービスが求められる時代は必ず来ると。大手弁護士事務所に所属しながらも、そんな確信を抱くようになり、独立と起業を決めたのです。
業界の常識がある人間には、とても思いつかないスキーム
―弁護士による起業とは、いまでもあまり耳にしない挑戦ですね。
司法試験合格者は、裁判官、検察官、弁護士という法曹三者の立場で一生を過ごすもの、という一般的な認識がありますよね。ですが、私の場合は、弁護士時代に大手IT企業の買収案件を担当し、IT業界のダイナミズムを知ってしまったことが大きかったですね。
―どういうことでしょう。
当時のIT業界には非常に勢いがあり、「あったらいいな」という発想ひとつで、新事業が次々と生み出されていました。のちに巨大メディアに育っていく『クックパッド』や『価格.com』、『食べログ』といったコンシューマージェネレーテッドメディア(CGM)が台頭してきたのも、その頃でした。
「あったらいいな」という発想は、いまの状態、いまの常識を「当たり前」と捉えるのではなく、それを疑い、ときに否定する姿勢、いわば「常識を疑うマインド」が原動力になっているんですよね。私のなかにもあったこの「常識を疑うマインド」が刺激され、いつしか弁護士業界に対しても、「成熟業界にこそ、新しい社会的価値を創るチャンスは眠っている」という目線で捉えるようになっていきました。
―『弁護士ドットコム』も『クラウドサイン』も、「常識を疑うマインド」から生まれたと。
そうです。弁護士業界は当時、「一見さんお断り」が常識だった世界でしたから。その弁護士に会員登録を促すだけではなく、課金までしてもらうなどというプラットフォームは、業界の常識がある人間であれば、とても思いつかないスキームでしょうね。
もっとも、事業が軌道に乗るまでは時間がかかりました。『弁護士ドットコム』の事業開始から、8年間は赤字が続きましたから。創業メンバーたちも「この会社には将来性がない」と感じ、離れていったくらいです。
事業の成功確率を高める、社会的共感性の強さ
―その苦しい時期を、どのように乗り越えたのですか。
事業自体は赤字だったのですが、利用者からの感謝の声が毎日のように届くんです。「命を救われた」「人生をやり直せた」といった熱い声に支えられ、事業の意義については確信が持てていました。ですから、赤字が続いても心が折れることはなかったですね。
逆に、この雌伏の時期があったおかげで、経営理念や事業に向き合い、ビジョンやビジネスモデルを磨き続けることができたのだと思っています。「社会的意義や社会的共感性が事業の成否に直結する」という認識を深めることができたのも、この時期の経験があったから。社会的意義のある事業は、志の高い人材や優秀な人材を引き寄せ、事業上のパートナーも見つけやすくなります。必然的に、事業の成功確率も高まることになるわけです。
また、より現実的に事業構想を巡らせるなかで、大事にすべき「4原則」が私のなかで固まってきたのも、この時期の経験があったからこそでした。
ピンチにあって必要なのは、ある種の楽天性
―「4原則」とは、具体的にどのようなものですか。
まずは、初期投資が少ないこと。さらに、多くの在庫を抱えなくてよく、ストック型の収益モデルをつくれるビジネスであること。そのうえで、利益率が高ければ言うことはないですね。まさに理想的な条件ではありますが、いかにこの「4原則」に近づけるビジネスモデルを構築できるかを、私は新事業を構想する際に心がけてきました。
もちろん、自らのコアコンピタンスが活かせる事業領域で勝負しなければいけませんし、事業に一定程度のオリジナリティが必要であることは言うまでもない前提ですが。
―コロナ禍で直面する困難を、経営者はいかに乗り越えていくべきですか。
「ピンチはチャンス」とはよく聞きますが、経営者にはピンチのなかにもチャンスを見出せる、ある種の楽天性が必要です。振り返れば、私も雌伏の時代に「この孤独を乗り越えれば、ブルーオーシャンが広がっている」「この苦労はきっと将来、いいエピソードになる」と自分に言い聞かせて、励ましていたものです。最後は乗り越える意志がある人しか、危機を乗り越えることはできないんだろうと思います。