森下仁丹株式会社  代表取締役社長 駒村 純一

124年前の社是を守ったから❝老舗病❞を克服できた

森下仁丹株式会社  代表取締役社長 駒村 純一

明治26年に創業者森下博が大阪に開店した薬種商を起源とし、同38年に発売した『仁丹』が大ヒット。その勢いにより、森下仁丹は大正・昭和と発展し続けてきた。しかし、昭和の終わりごろから業績が低迷。そこで創業家は思い切った手を打つ。三菱商事で海外子会社の立て直しなどに腕を振るった駒村氏を経営者として迎え入れたのだ。3年で黒字転換に成功し「中興の祖」となった同氏に、老舗企業に進取の気風を取り戻す要諦を聞いた。

※下記は経営者通信46号(2017年12月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

看板商品の出荷額が20年で10分の1に

―創業から124年の長きにわたり、会社を存続させることができた要因はなんでしょう。

 ブランドでしょうね。『仁丹』というブランド。これが非常に強力なものがあって、その賞味期限が100年以上、切れずにいてくれたおかげで存続できた。そんなプロダクトを発明した創業者に、大変な先見の明があったということです。

 『仁丹』の発売時、国内の死亡率はいまよりずっと高かった。医療体制が整っておらず、いまなら命とりではない病気でも人が死んでいったからです。そんななか、10種類以上の生薬を配合し、携帯できる薬として世に出した。口中を清涼にしてくれるだけでなく、胃腸をすこやかにして、健康を維持する病気予防の効能があり、大ヒットしたんです。

―ヒットにかげりが出てきたのはいつごろですか。

 1980年代ですね。『仁丹』の出荷額のピークは1982年。そこから減る一方でした。背景には生活の欧米化があります。和菓子より洋菓子、漢方薬より西洋薬。口中清涼剤としての『仁丹』は、『フリスク』『ミンティア』に取って代わられてしまった。私が当社に入った2003年の時点では、ピークの10分の1にまで出荷額が減っていたんです。

―ブランドの賞味期限が切れかかっていたわけですね。社内には相当な危機感があったのではないですか。

 いいえ。これがまったくなかった。「いままでなんとかなってきたんだから、これからもなんとかなるだろう」と。業績の赤字を目の前にしても、「新しいヒット商品をつくろう」「コスト構造に大ナタを振るおう」という動きが出てこない。それどころか「先輩たちの時代はちゃらんぽらんにやっていた。いま自分たちがそうやってなにが悪いんだ」と開き直っている。❝老舗病❞にかかっていたんですよ。

❝よそ者❞だからできた 新分野へ進出する発想

―なるほど。その❝老舗病❞を治療するドクターとして、駒村さんに白羽の矢が立ち、経営者として招へいされたわけですね。どんな実績をかわれたのでしょう。

 当社と同じぐらいの規模の会社を立て直した経験があったんです。商社時代、出資先であるイタリアの化学メーカーの業績が厳しいときに、私がトップとして派遣されて、なんとか上向かせた。非常にやりがいのある仕事でしたね。しかし、「いずれ日本に戻ることになる。そうしたら、こんなおもしろい仕事はできないかもしれない」。そう思うようになり、「戻ってこい」といわれるより前に辞表を出したんです。

 そして人づてに、「森下仁丹で会社立て直しができる人材を探している」と聞いて。「またイタリア時代のようなおもしろい仕事ができそうだ」と。それに、ひととおり会社についての話を聞いたなかで、シームレスカプセルをつくる独自技術をもっていると知った。

 半球状の2つの部品をつなげる従来型と異なり、ひとつづきの真球でできているカプセル。『仁丹』を銀箔で包み、小さな丸薬にすることを追求するなかで生まれた技術です。もともと私は応用化学専攻。だからこの技術の優秀性はすぐにわかった。「こんなすぐれた技術が❝寝ている❞なんてもったいない」と。そこに可能性を見いだしたこともあって、入社することを決めたんです。

―シロアリ駆除や産業廃棄物からのレアメタル回収などに応用できるそうですね。

 ええ。それまでも、シームレスカプセル技術を『仁丹』の周辺領域である医薬品や健康食品の分野に応用することは推進されていました。私はそれを産業用にも広げたわけです。これは❝よそ者❞として入ってきた私だからこそ、できた発想だと思います。

―新たな発想をもちこむことで、長い歴史のなかでつちかわれてきた「よき伝統」をこわしてしまう心配はありませんか。

 いいえ。新事業を構想するときに限らず、さまざまな改革を推進するうえで、私はつねに当社の創業者が掲げていた事業の基本方針を念頭においています。なかでも、「薫化益世」。いまふうにいえば「社会貢献」ですね。

 シロアリを駆除することで、安心して木造住宅を建てられ、健康な生活の実現に貢献できる。また、産業廃棄物のリサイクルは循環型社会の実現に貢献する事業です。

―外部から招へいされた経営者である駒村さんが「創業者の精神を順守しよう」と思った理由を教えてください。

 普遍的な原則だからです。私の前職である三菱商事にも、戦前の財閥時代に定められた「三菱の三綱領」があります。そのなかに「所期奉公」とある。つまり「社会貢献をめざします」と。当社の創業の基本方針と、非常に似たことをいっているんですね。つまり、これはビジネスで成功するための普遍的な原則なんです。

 たとえば、他社がすでにやっていることをマネて、少し安い類似商品を出す。社員に「新事業のアイデアを出せ」というと、そんな案が出てきます。短期的には確実に利益が見込める。でも、私は不採用にします。なんの社会貢献にもならないから。むしろ、いま問題になっているデフレを深刻化させるという意味で、社会悪ですらある。

 社会貢献になる事業は、周囲が応援してくれます。長期的に見れば、そういう事業のほうが成功するのです。

―創業者の精神を受け継いでいるから、駒村さんは❝老舗病❞にかかっていた森下仁丹の立て直しに成功できたわけですね。

 そうかもしれません。私が推進した改革に不満をもつ幹部たちが、大株主である創業家の方の前で「駒村はけしからん」とぶちまけたことがあったと聞いています。でも、創業家の方は「駒村さんには期待できる。あなたたちは黙ってなさい」とたしなめてくれたそうです。だから、とてもやりやすかったですね。

―入社して最初に取り組んだ改革はなんでしたか。

 経営企画室をもうけました。とはいえ、当初のメンバーは、担当執行役員の私だけ。そこで組織の風通しをよくする改革を進めました。ひとつのプロジェクトについて、関係する全員を集めてミーティングをする。中間管理職のプロジェクトマネジメントに不備があれば、その場で私が追及する。部下の目の前でしかられるわけですから、面目丸つぶれ。それをきらって、多くの中間管理職が会社を去っていきました。

 ほかにも、契約書や帳票のたぐいを全部私がチェック。高コスト体質になっていたのをスリム化しました。

―反発はありませんでしたか。

 たぶんあったんでしょうね。でも、私と論争して勝てる相手なんていないですから。私は商社時代に「利害関係が異なる相手を説得する術」を身につけた。抵抗したところで勝てる見込みはないから、不満がある社員は辞めていくだけでした。

中高年を採用してワンマンから合議制へ

―人材不足におちいるリスクがあると思います。

 ええ。そこで中途採用にチカラを入れました。私自身が面接して、異分野も含めて、さまざまな業界のエキスパートを入れた。それに新卒も積極的に採用。私の代表就任前と比較すると、3分の2ぐらいのメンバーが入れ替わりました。ただ、40代ぐらいに見込みのありそうな人材が多くいるんですが、その上の世代が不足しているんですよ。辞めちゃったから(笑)。

 そこでいま、中高年をターゲットにした採用活動をはじめています。ここまで私がワンマン経営で改革を推進してきましたが、そのフェーズはそろそろ終わります。今回、採用する中高年たちで経営チームをつくらせ、合議で意思決定し、組織として戦える体制にしていこうと計画しています。

 いまの時代、上の人間だけが情報を独占することは不可能です。むしろさまざまな情報を見える化してシェアしたほうが、より多くの知恵を結集でき、経営がうまくいくのです。

―なるほど。情報を見える化した具体例を教えてください。

 たとえば、残業時間を見える化しました。出退勤管理のシステムを導入したところ、会社全体で残業代が1.3倍に増えました。以前は、サービス残業があったということですね。そうやって見える化したうえで、いま時短に取り組んでいるところです。

―残業代が1.3倍に増えるような改革に踏み切れる経営者は少ないと思います。では最後に、「100年企業になりたい」と願う中小・ベンチャー企業の経営者にアドバイスをお願いします。

 「いまから100年後」といっても、遠すぎてわからないでしょう。だから、だいたい5年単位でものを見ていけばいいと思います。ヒットしそうなプロダクトを複数仕込んで、5年ぐらいのライフサイクルを回していく。その繰り返しの先に「100年企業」があります。

駒村 純一(こまむら じゅんいち)プロフィール

1950年、東京都生まれ。慶應義塾大学工学部応用化学科卒業後の1973年に三菱商事株式会社へ入社。1997年に同社のイタリアでの投資先であるフッ素ファインケミカル専業メーカーの代表に就任。2003年に森下仁丹株式会社へ執行役員として入社。同社が独自に開発したシームレスカプセル技術をレアメタル回収やシロアリ駆除などに応用する新事業立ち上げや、発注契約の見直しによるコスト削減など、改革の陣頭指揮をとる。入社時30億円の経常赤字だった業績を立て直し、4億円の経常黒字となった2006年に代表取締役社長に就任。

森下仁丹株式会社

設立 1936年11月(創業:1893年2月)
資本金 35億3,740万円
売上高 109億6,700万円(2017年3月期:連結)
従業員数 278名
事業内容 医薬品、医薬部外品、医療用具ならびに食品などの製造および販売
URL http://www.jintan.co.jp/
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